意欲泥棒

 前の晩はすごくやる気だったのに、翌日になると急にめんどくさくなるのを「意欲泥棒にやられた」と呼んでます。

 同人誌とか、ネット記事の大ネタとか、趣味系のことでは非情に頻繁に泥棒されていて、ちょっと意欲がでたら、すぐ持って行かれるの繰り返しです。まったく、ちくしょう、どろぼうはひどいやつだなぁ。

 で、意欲泥棒対策を考えてみました。

  1. とりあえず、すぐ始める。
  2. やることマップを作って(頭の中でも可)何から始めるか考える。
  3. 無駄とは分かってやることをカコイイと思う。

 時間がないというのもありますが、普段使ってない時間がいくらかあるならそこに、突っ込めばいいことなので、忙しい人間でなければ絶対的理由にはならないのです。

 資料本を集めるとか、机の脇に置くとかから始めても結構有効な気がしてます。

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2004年にテレビは終わった

パチンコ解禁はCM業界の断末魔?

 この記事を見てふと思ったのですが、パチンコCM解禁は2004年

 コピーガードが地上波デジタルに適用されるようになったのは、2004年4月からです。

 広告が減り始めたのはもっと前からですが、これはインターネットや、携帯に時間を取られるようになったので、家庭の中心では無くなったのが要因だと思います。

 広告収入目当てに、数兆円規模のパチマネーをあてにしたばっかりに、パチンコにせっせと生涯年収の大半をたたき込むような○○相手になり、これに見限った視聴者のテレビ離れがどんどんすすんでるところに、地上波デジタルにも試聴制限設けて、一層見せない努力。とどめは地上波一斉停波で、まだテレビをみてくれてたTVの奴隷世代を、切り捨てるわけです

 もう駄目かも。

 そんなわけでPS3配信コンテンツの忘念のザムドに期待。スタッフが『キングゲイナー』に近いのも高ポインツ。

 レンタルで、3日試聴、HD400円、SD300円というのは高すぎ。例えば一ヶ月分見返すの三日試聴しかできないのに、最低1200円~1600円というのはアホだと思います。出力先でせっせと録画しろってことですか? せめてメモリースティックにPSP画質録画はできますぐらいのサービスはつかないものでしょうか。(公式発表前なので)

 ここで一回購入したら何度でもリピートできる権があれば、ディスク無しでソフトを買ったようなものだから、結構購入意欲も湧いてくると思うのです。いつでもみれても、ソフトを買うのがオタクの性分ですし。

 ともあれ、これが成功して半分ぐらいにおっこちてくれれば、かなり許容範囲。高画質配信事業あれば、テレビなんかいらないのです。あんなものはただの垂れ流しです。アニオタは好きなときに高画質で見られれば幸せなのです。

 で、ここに広告代理店が絡んで、CMみたらタダになりますよ がくっつくとみんな幸せになれそうな気がします。

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ボンクラの壁

 創作論談義の続きです。

 「知人と同じようなレベルが出発点なのに、向こうは人気があって、こっちはまるで陽があたらないのですが、何が違うんでしょうね」

 という話。これはよく聞きます。

 もしかして、その知人とやらはメジャー指向で、売れてるものはパクリだろうが何だろうが、どんどん取り入れているのに対して、あなたは地道にやることが正しいことだと考えてませんか?

 これに符合しているなら原因は明白、立ちふさがってるのは「ボンクラの壁」です。

  ボンクラの壁は、努力や鍛錬によって突破できるかというと、残念ながらそうではありません。高確率でボンクラの壁の内側をグルグル回ってるだけなのです。努力が解決すると思いこんでることが、壁を越えられない要因の一つです。これを「ボンクラの虜」と呼びましょう。

 ボンクラか、ボンクラでないかの境目はただ一点。「受けの手応え」ではないかと思うのです。

 受けているものをフォローしていけば、「受け」の感覚が身につくのでフォロアーこそ近道というのは、ある程度正解。ただし、同じ技術論者との競争率が高いというのが欠点です。

 真似ることで感覚を体得していくのが良い学び方、ボンクラの壁を越えた世界がすでにお手本なのです。一方で、真似てるだけなのに自分の実力と勘違いして、必要感覚を身につけないのは駄目な学び方。ネタ元が枯渇したら共倒れです。

 ここで真似ることを恥とすると、自力でボンクラの壁を越えなければなりません。

 どうやって越えるべきかは私にも分かりません。どうやら、技術、独創性、大衆性の三つが柱であると睨んでますが、今のところ私自身ボンクラ突破したわけではないので、仮説のままです。自分で「これは受ける!」と閃くものが必要ですが、それもまた誤解であることがほとんどです。

 最低限、ボンクラの壁の中に引きこもりはすまいと思うのみです。

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コピーするのは良いことだ

 先日、創作論の話になりまして、結果一致したのは「コピーは良いんじゃないか」ということ。

 順を追って説明すると、物語の創作には基礎という物が必要なのですが、音楽などと違って学校では基礎から教えてくれないわけです。

 では、どうやって基礎を学ぶかという点で、自分の好きなものを「丸写し」すれば、手っ取り早いわけです。観客の視点では好きな点のみに集中するが、その前後の過程をじっくりと知ることで、物語の構造が分かってくると言うわけです。

 そういうわけで、じゃんじゃん手コピー(耳コピー)するのが、創作の基礎になるので、パロディ同人誌などは基礎能力の育成にはうってつけな訳です。

 大事なのは、構造を知ることなので、構造を理解しないと、全く無意味と言えます。

 あとコピーとトレスは違います。トレスやっても、何も身につきません。それはただ、なぞってるだけ。

 プロになってからの、仕事上のコピーは言語道断。

 「好きな点」しか見ないのが、いわゆるオタクとかマニアの見方で、それ以外の所に眼を向けるのがクリエイターの視点です。その眼を養うにもコピーするのが、第一歩ではないかと思うのです。

 人目にさらさない限りは、どんなに丸写ししても大丈夫と言うことを、忘れてはいけません。

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少女美、少年美論

 弥生美術館で乙女のイコン展開催中です。

 大正、昭和初期の少年、少女雑誌というのは、私たちの考える近代ロマンチシズムの源流があると思います。

 19世紀末に花開いた、アール・ヌーボー(新しい芸術)が、日本芸術(私は主線<おもせん>文化と思ってますが)に影響を、受けていると言われています。

 そのアール・ヌーボーというのは工業技術の発展による、大量生産時代のデザイン文化で、世界各地のデザイナーに影響を与えたのはご存じの通り。その源流の国日本では、線描による表現というのが、脈々と受け継がれていて、<浮世絵>と<アニメ絵>のブリッジになるのが大正、昭和初期の印刷技術発展による、通俗文化であると考えます。

 乙女のイコン展で注目して頂きたいのが、男性作家による少女絵で、これはある種日本人特有の少女美、少年美が児童雑誌の勃興により確立されたものではないかと思います。

※ここから先は違う話です。下品な話を含みますので要注意!!

 西洋の思想基軸が一神、万物創造の神であり、神の最高の造形物が人間とするなら、それ以上の美は無いとするのが自然な発想。 日本人は人間さえも自由闊達に描写することで、創造に対する枷がない世界を作り上げた。これが今のオタク的なものの、始まりではないかと考えます

 少女美の、さらに源流を追うなら、巫女崇拝ではないかと思います。神託と受ける受動的な物と同時に、神の代わりであるものと、まぐわりたい、性交したいというのは、西洋思想ではまずあり得ない、願望であるとおもいます。

 少女、少年を神聖視する過程での美化が、近代、大衆と向き合うことで洗練されていったのではないでしょうか。極論を言えば美少年美少女は宗教的イコン(象徴)であったということです。

 さて、少女、少年と(ぶっちゃけたはなし)性交したいというのが、根源的な願望であるとしても、現実問題、本人が望まぬ形で遺物を挿入され、体液を混ぜ合わされるというのは、想像を絶する苦痛である訳で、人道的にも未成年は絶対的に保護せねばならないという、意識は強く持たねばなりません。<キヨラカナルモノ>と交わりたいというのは、片方にとって「清め」であっても、片方にとっては「穢(けが)れ」なのです。

 生身NGの中、憧憬的な願望を、自らの想像の元に紙やフィルムに転写していったのが、「オタク文化」を産み出す日本人の意識的なエネルギーではないかと思うのです。<永遠にキヨラカナルモノ>への願望が、度を超えると、非処女を嫌がる、お子様的な迷信に転ずることもままあるので、弊害もあります。

 地域にもよりますが昔は「七つ八つはカミのうち」と言って、子供は天からのありがたい授かり物という認識もありました。その「カミ」的なもの<キヨラカナルモノの人間化>のひとつが恋愛ではないかと考えます。

 女性側がヒトとして自分を認めて貰いたい恋愛意識が強いのに対し、男性側は、その能力によって、周囲に認められるかが決まるので、恋愛によっては自己は確立しないとも言えます。男性視点の萌え物では主人公が恋愛していないことが多いというのは、こういった意識なのかもしれません。

「男性は能力を認められない限り、子供の性質を持ち続ける」とも言えます。クリエイターにお子様気質人が多いのは、永遠に認められることのない不安感の裏返しというのは、空想しすぎでしょうか。

 まずは、少女、少年崇拝は信仰である。という意識的なセットをする必要があるのではないのでしょうか。そのうえで人の営みに生きるところをちゃんと立脚しないと、しまいには異性はバーチャルで充分、とかいう話になっちゃうのだと思います。

 わかりやすく言うなら「アニメ(空想)キャラで、オナニーするのは浄化願望なので、精神異常じゃないよ」「美少女、美少年が大好きなのは、信仰にちかい。これは日本人が創造能力を真っ先に確立しただけで、他の国でも同じかもよ」「生身を、信仰とごっちゃにするなかれ、生身に萌え要素はあっても、萌えじゃ無ぇ」

 てなとこですか。

 

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評論十戒

自分用のメモなので、他人様に強要したり、こうあるべきと言うものではありません。

1.根拠無き全体批判は、ただの侮辱であり、
  最も品のない幼稚な行為である。

2.自分の主観は、絶対正義ではない。
  主観のみに立脚するなら、それは一個の感想であるとするべし。
  感想には誰も目くじらを立てないが、読まれることも少ない。
 
3.言論の自由がある限り、何を言い放つのも自由であるが、
  無視しても良い自由も先方にある。
  それが中身のない物、間違った物である場合は、
  作者やその周辺が受け入れないことも自覚せねばならない。
  相手が批評批判に答えないのは、正当性の証とはなり得ない。

4.作者個人などを取り上げるときは、その人格に対する
 「決めつけ」が根拠であることを自覚せねばならない。
  その「決めつけ」が正しいと言い張るなら、何か問題がある。

5.「ここはこうしたほうが良い」は作品矯正ではない。
  ピラミッドの頂点の石を、赤いのが良いか、青いのが良いか、
  四角でも三角でも光っていても、それらは好みの問題。
  クリエイターはその下の段から時間をかけて
  積み重ねていったのであって、
  頂点の石をいじったところで、そのクリエイターと
  同等の資質は持たない。
  初心者批評の最も陥りやすい間違いである。

6.不満はバランスの悪さに起因することが多い。
   例えば伏線が貼られていない唐突なオチ。
  当初のキャラクター像がいつの間にか変質している等。
  前後関係の悪さを指摘するのは、批判としては正当である。

7.面倒くさいからと言って、論説の根拠を説明しないなら、
  それは、根拠がないのと同等である。
   実は深い考えがあると百回弁解する暇に、説明した方が早い。
  他人が都合良く解釈してくれることを望むなら、
  それは他人の意見である。 

8..情報は自分が獲得した物か、他人から与えられたかを明確に
  切り分けなければならない。
   誤った風説を根拠とするなら誤解を拡散させた責任を負う。
  自分で知り得た知識を、わかりやすく用いるのは上級の評。

9.間違った情報は速やかに訂正されるのが好ましい。
  訂正の受け皿は常に用意しておく必要がある。

10.最後に信念を持って書くことが重要である。
   どんな反論を受けようとも、それが間違いでないかぎりは
  反論に対する、反論を良しとする。

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パブリックドメイン活用案

 ニコニコがションボリー

 ふと思ったのですが、著作権関係の法改正をして、低画質な物に限りパブリックドメインにできないものでしょうか。

 例えば放送(公開)後40年たったら、何でもパブリックドメインになって、自由に図書館などで観覧できる。パブリックドメインとは言っても、商標権を始め声優の権利とか脚本の権利とかはちゃんと残しておいて、販売等はその辺をクリアしない限り一切できない。

 過去の名作が自由に見られることは、過去作品に脚光が当たるし、研究評価もさらに深くなると思うのです。イメージとしては図書館毎にサーバーを置いて、各地に分散させつつ総合的なアニメとかのライブラリーを作って、利用者には広く公開するやり方。高画質で欲しければ購入せよと。

 仮に40年で、今だとモノクロアニメとかが解放時期で、しばらくして第一次アニメブームが解放されちゃったりすると、映像を引用しながら語り放題できるので、それはそれはうっとりするぐらい素敵なのです。映像付きで語らしてくれれば最強なのに。

 今の著作権保護が、むしろ文化育成の真逆を走ってるようにしか思えないのですよ。国会図書館のおかげでどれだけ調査再発掘が進むか見ていれば、知にアクセスできるのは、重要不可欠なのです。ニコニコ潰して売り上げ超アップ、録画保証金でクリエイターの皆さんに年金とかなったら、考えを改める次第ですが。

 明日の人材と、過去の職人の方達に役立つ大転換を望みたいです。

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アニメ批評が成り立つには

 アニメ評論、批評が成り立たないのは、一番の理由が商売にならないからでしょう。

 アニメ関連誌で一番売れるのはやはり、絵が沢山入ったもの。要するに作品ファンはそのキャラクターに思い入れているものなので、その所有欲に訴えかけるのが一番なのです。

 文字による設定、インタビューは二の次。それも監督インタビューとか、声優インタビュー(苦笑)が先で、物語の背面解説はその後。ライターの解説なんて、文字数埋めるために利用するのが大半で、ライター目当てに本を買う人は皆無か、ごく少数でしょう。

 作品大好きで、買ってる人間に作品批判を読ませるなんてありえません。それは買った人のやることであり、情報提供するまでが出版ライターのお仕事。越権して批判を書き始めたら、それはオーダー外になるので即座にライター失格。

 作品批評に徹した本を作るとなると、版権元は嫌がってフォトを貸してくれない、版元チェックを出した場合、徹底的に修正されるか無視。その結果文章内の間違いなどが訂正されない場合があるので、誤解をまき散らすことも充分あり得ます。

 ともかく、作品の絵を借りるとか、インタビューするとか、アニメからの恩恵を受けない代わりに、無礼討ち的報復を喰らわないようにするのが一番でしょう。有力スポンサーが付く雑誌、はたまた「辛口批判」を売りにするコンテンツなど、独立採算でビジネスに乗るなら可能性は見えてきます。

 そのうえで、商業ライターとしての責任、(文章が)読みやすいか、(内容が)わかりやすいか、ものごとの本質を突いているか、などの枷を与えて、編集長及び編集スタッフが責任持って内容を間違いの無いよう監視していくのなら、コアなアニメファンや、業界人が手にしてくれる物になるかもしれません。

 口を酸っぱくして言いますが、批判は物事を研磨しません。条件反射で書いたような訳知り批判が、常に正鵠を射ていると考えるのは、思い上がりも良いところです

 スポンサー、編集者、ライターの三位一体の強い自己責任が果たせるのなら、広く知らしめる価値のある、アニメ批評というのが成り立つのではないでしょうか。

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批判の品格3

 私の過去の悪行を赤裸々に告白するなら、葉山霄こと旧名原えりすんは、過去にいろいろと他人を怒らせていました。

 恥知らずを覚悟で弁明するなら、その時々にも根拠と考えがありましたが、無知や、著(いちじる)しい失敬がそれで浄化されようはずもなく、方々でトラブルになりました。

 怒りの発火点は分かりようもなく、「自分は正しいと思った」が、だいたい怒らせる要因なので、謝罪に対してなにが問題であったか分からない限り、問題の根源は何ら解決されません。ましてや、自分は正しかったと言いはるなら、この怒りは永久に解除されないままです。

 私も愉快な原稿を書くことを信条とするため、時折図に乗ること甚(はなは)だしく、本来得られた信頼から発生する物を失い、我が身を削ってあの時の無礼を骨身に染みさせることで、せめてもの贖罪と考えております。

 無礼討ち という言葉があります。

 書きすぎたこと、間違ったことで、その対象当人から否定されるのは当然のことで、「批判を書いたから、干された、怒られた、否定された」というのは、ずけずけと本当のことを書いて相手を恥じさせ、その恥じ隠しに復讐されたのか、ただ単にトンマな事を書いて無礼討ちを喰らったのかを検証しない限り、書き手の資質を隠したまま、正当ぶるということにはならないでしょうか?

 言論の自由というのがある限り、「個人の感想」は重んじるべきではありますが、有形無形の無礼討ちを行う権利というものも、(ほとんど行使されないとしても) 作者側にあることを覚悟しなければならないのです。

 無礼討ちが怖くて、安全なところから、こそこそ無礼を働くのは、失礼を通り越してまさに卑怯と言うべきです。

 品格無き批判は、百害あって一利無し。的はずれな批判は、怒りによる断絶を生み続けるのみで、反省をうながしものごとを研磨したりはしないのです。

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批判の品格2

 思えば、クリエイター側に批評に対する反論の場は与えられているでしょうか?

 次回作こそが、その反論の場というのは正論ではあります。

 しかし「彼はファンから嫌われてるから」と、干されてしまう例も知ってます。ブログで発言しても、「プロが言い訳をするな」と袋だたきにされることもままあります。結果、評論感想は無視して、ただ自己研鑽に励むのが一番の技術の昇華方なので、結果「グダグダ言うヤツには近づくな」という先日の、飲み屋ネタに繋がります。

 さて、

 SKIP IT!(捨てちまえ!)

 かって、こういうことを、三段階評価で傍若無人に言い放つ、非情に無礼な原えりすんというライターがいました。 ええ、私のことです

 ただの悪口にならずに、残念点を浮き彫りにして、批判問題点の指摘による浄化作用を淡くも期待していました。

 結果どうなったかと言うと、から目線、間違いでも言い放つ、周囲からの圧力、自分以外へ迷惑をかける、原えりすん批判など、本人と本人の思わぬところで、重大なあつれきを産み出す結果になりました。

 タブーに踏み込んだライターとして、かなりリスペクトもされましたが、結果的には、誉めたものは堅調に評価を伸ばし続け、けなしたものが良くなったという例は数少ないです。良くなったとしてもそれは、自浄努力によるものなのでトリガーになった批評というのは、重要視される要素ではありません。

 原えりすんだった人間として、あえて言いたいのです。

 批判をしても、浄化作用は行われない!

 問題点というのは、根源的な失格のみならず、思わぬ所のひずみから発生することも多々あるので、、分かっていてもどうにもならん事が多いのです。

 結果、私の得た結論としては

 みんな、誉めれば伸びる子。

 という事です。良い点を独自の視点で評価しつつ、その成長の阻害点となる部分も、臆せずにちゃんと指摘できるのが、私の思う完璧な評論であります。

 評論家達も、知識を研磨し、「この人は悪いことも言うが、良い面も拾い出してくれる」と思って頂き、作者、ファン、それ以外の人達にプラスになる評論こそが、最も価値高きと信じるものです。

 不肖、葉山41歳。今だその域に達せず、感情に左右され、私の思う評論達人まで遙かおよばずと痛感する毎日です。

 批判、一切を禁止するとする、雑誌や商業レビューの弊害ここに極めりとする。諸氏の危惧は大いに理解するもので、幾ばくかの原稿料をかなぐり捨ててでもブログという道があることは、我が身の天佑と思ってます。

 ただそこで、批判こそが価値ある唯一の手段では無いことだけは、経験者の弁として、心に留めておいて欲しいと願います。

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批判の品格

 同業者が批判するなら、敵だ!(作品で)ぶっ殺せ!

 評論家が批判するなら思いとどまれ! あいつらは敵も殺ってくれる!

 オタクが批判するなら笑ってごまかせ! ゲスな言葉を吐いてもお客様だ!

 飲み屋のネタですが、ライターや批評家がどんなに作品に対して批評しても、その作品の反省材料として糧になるより、ただ単に同業者のウサばらしになるだけという、印象を受けました。

 批判が作品のためには、的確に問題点を注視して、なおかつ解決の批判のヒントを示唆する内容を持たなければ、価値がないと考えています。

 「つまらん!」とか「今回も駄作」だった、「コイツ才能ねーよw」とか書いても、どこがつまらないか、駄目かが明確ではない限り、それはただの侮辱でしかないのです。問題点に関して、時間をかけて取り組んでくれるのが良い批判。めんどくさいから、気に入らないからで罵倒のみしかできないのは、悪い批判ではなく、もはや侮辱です。

 侮辱と批判がわからくて、自分は良い批判しているつもりになってる人がいる限り、批判の質は永久に高くならないと思うのです。

 自分の感性において解釈するのは「表現の自由」の一環で、それは作品批評として呼ぶべきではないのかもしれません。あくまで個人の感想。

  問題点解決の示唆なんて、それこそ神のような眼がないかぎりムリ。凡人にできるのは問題点の違和感や改善点を、書くぐらい。当人から的はずれと、笑われる覚悟も必要です。

 問題点解決の示唆を含まないのなら、書いてる批判者当人の思いに反し、それは同業者をニヤニヤさせるだけのものなのかもしれません。

 ちなみに上記のネタにはオチがあります。

 隊長!買わない、誉めもしないオタクはどうしますか!

 そいつらは自分を人間だと思ってる、オ(ピー)コの滓だ!臭ぇから近寄るな!

感想を馬鹿にしてるんじゃなくて、クリエイター側も、個人が気軽に書く感想と批評を一緒にしてはいかん、いちいち期待して自分から近づくなと言う意味です。

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アニメ評論家などいない

 ライター関係の知り合いで、少々話題になったのが、とある雑誌記事で「今はちゃんとした評論家がいない」という談話。関係者のほとんどで「(昔から)いやしないのさ、そんな人~」という話になったのでした。良い評論だと思いこんでるのは、たぶん自分にマッチした感想のことではないかと。

 いろいろと話を総合すると、全世界大衆が望んでいる「アニメ評論家」とやらはあふれる知識を持って、作品の功罪を、快刀乱麻を断つが如くバサリバサリと切り裂いて、良点は誉め、悪いところはびしりと指摘する、そういう姿なのだと思います。

 私、個人の意見としては、まずあり得ません。

  1. 根本的に知識量には限界がある。「あるジャンル」ないし「ある作家」限定では相対的(過去のものと比較して)に、最新作を語ることは可能ですが、すべてのジャンルにおいて正当な作品論を書くことは難しい。
  2. 個人の意見は、個人の感性に由来するので、作品から感ずる当たり外れのブレが大きい。好きなジャンルであるほど、判定評価が厳しくなると言う、逆転現象が発生する。
  3. 評論家というなら、それで原稿料などを貰わなければならないが、そうなると利害補正が働くので、公正な評価は期待できなくなる。ブログで無料で書く限りはプロの評論家とは言えない。それは、専門的なご意見番。
  4. マイナス面を指摘しても、その作品のファンに納得して貰うことは難しい。結果「好きな作品を汚された」というヒステリーが評論家に向けられて、評論家を評論する現象が発生して、言うべき内容が混濁を始める。
  5. 厳しい意見は、作品を研磨しない。とある人の弁「2ちゃんの出現以降、作品は良くなったかというと疑問が残る。自由な意見は玉石混淆であり、一個の玉(良質な厳しい意見)を拾うために石山をほじくり返したりはしない。不用意に近づけば石山の主は嬉々として、玉のつもりで石を投げつけてくる。ぶつけられた痛みは彼らには絶対に分からない」

 このブログも、理想とする評論空間実現のために、起こしたしたものですが、それでも作者にダメージになるような、本当に思ったことは書かない。というルール決めをしてるので、自発的な場所であってもかなり補正を働かせています。

 そういう配慮補正が無い評論というものは、血まみれの石のぶつけ合いであり、配慮補正が強くなるほど、今度は論ずるべき点がボヤけていくと思うのでした。

 だいたい作品評論をするためには、そのソースとして録画物なりが必要なのですが、著作権最優先、徹底的な個人視聴で、作品の貸し借りさえも断固として許さないとか言ってるのは、批評評論潰しに他ならず、ただ盲目的に購入を希望するという、ゆがんだ欲望が顕在化している今、何を語れるというのでしょうか

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作画崩壊の反対側

 先日放送したマクロスF(フロンティア)第7話。

 最初のマクロス放送時の「愛は流れる」を彷彿とさせる、TVアニメとしてはオーバースペックの戦闘回で、私のような古いおっさんアニメファンも懐かしのデストロイド登場に涙したのでした

 で、なんだか物議を醸してるのがこれから放送の第8話。予告見て作画崩壊だ何だと放送前からえらい言われよう。

 言うまでもなく人材は有限ですし、絵が設定通りでないと許せないと怒り出すのも何ともナンセンスなお話。特に初回放映時のマクロスは第11話というすごい回があるので、(マクロスFでまた見始めた)古い人間ほど許容範囲が広いと言えるかもしれません。

 作画崩壊だというファンがいる一方で「設定通りが良いなら3DCGのアニメでも見てればいい」というのもよく出てくる意見。

 そういえば2001年にRUN-DIMという3DCGアニメがあって、キャラクターまで本格的にCGでやってしまった作品としては最初に記憶にある番組です。 案の定人形芝居っぽかったですが、これはこれで味があったような。

 その後、アップルシードとか、エクスマキナとか3DCGキャラクターも進歩してると思うのですが、ストリートファイターⅣや、戦場のバルキュリアみたいなマンガ的デフォルメデッサンの落としどころに向かうのではないかと思うのでした。あと星の海のアムリ

 技術的有限である手書きの2Dですら、クオリティを求めるという日本人特有の無駄な潔癖症も、現在の技術水準を維持する原動力なので、「無い物ねだりの作画完璧主義」という病的な要求も、あんまり否定するわけには行かないなぁと思うのです。

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秋葉原が世界の中心になるために

 私の持論ですが、地域を活性化させるためには、導線が必要なのです。

 導線とは、人間を導く線のことですが、ここでは電気的な意味合いも多少含みます(後述)。

 活性化している地域には、なにがしかのシンボルが存在します。例えば神社仏閣や文化芸能スポーツ施設です。交通拠点(駅)とシンボルとの間のラインを人の導線と定義します。人気のある場所には土産物屋など門前町が必ずあります。

 秋葉原は実はシンボル不在の街です。今のところメイド喫茶かもしれませんが、ショップは点在しているために、太く強い電流が流れるようなエネルギーのある導線にはなっていません。

 そこで提案したいのが"秋葉原文化資料館" ハコモノによってシンボルを作ってしまおうという案です。

 核になるのは

  • レンタルホール(コンサート、ライブ、中規模までの即売会=最新情報)
  • 図書館、映像ライブラリー(過去)
  • 講習会スペース(未来)
  • クリエイターを中心とした資料展

 の4エリア。規模は大きければ大きいほど良いものとします。先日の「星の王子さまミュージアム」で強く思ったのですが、キャラクターグッズを置いた場所にはせずに、それがどうやって生み出されたかを基軸にすれば、どっしりとしたテーマの豊富な施設になるものと思います。

 これをある程度距離を置いた場所に作る。 最近の駅前再開発みたいに導線が極端に短くては活性化には繋がりません。やはり移動の前後で飲食や購入でじゃんすかお金を落とす必要があります。

 日本に来たら必ず行ってみたい場所、とりあえず暇があったら行ってみたい場所、創作の秘密に触れて興奮して帰れる場所、そういう巨大な知識と人の集合点を作ることが大切なのです。

 一日に資料館のみで3000人の動員を見込んで1000円の入館料で年10億円。総工費200億円のプロジェクトとしても20年内には精算が可能な計算になります。

 是非とも国家プロジェクトとして秋葉原に作って欲しいのですが、土地的に無理とあらば秋葉原を捨てて、新たな交通拠点のある場所にオタク遷都することになるのではないでしょうか。

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現場と著作権法

 ITmediaさんのニュースが興味深かったです。

「漫画トレースもお互い様だが……」 竹熊健太郎氏が語る、現場と著作権法のズレ

 要するに 「グレー」で済ませていたものは、出るところに出たら負ける

 と言うことではないかと。

 方やパクリトレスを糾弾して、方や二次創作はOKとするのは矛盾に満ちています。 これは二次創作でも一生懸命書いたものは良いもので、安易にトレスして技術を持たないのは悪いものといった判断基準であると思います。

 そういった意見も分からないではないのですが、元の作者から言わせれば、イメージの複製品を作ってることには大差ないわけで、トレスを「悪と決めつける」のは回り回って自滅行為になりかねないことを理解して欲しいのです。

 作家たるもの書けないものを、血を吐く思いで書き続けるのが創作者たる自信に繋がると思うので、時間がないから(書けないから)ちょいちょいっと拝借というのは、まったく誉めたものじゃありませんし、トレスメインの人で長続きした人は少ないです。

「創作上の逃げ」=「糾弾されるべきこと」とするのは、ちょっとやり過ぎ。

「創作上なにも持たない」ものと、ちゃんと見分けて欲しいと思うのでした。(例えば頻繁にやるとか、重要なところでやってしまうとか)

 ナンデモ即糾弾、ということにならず、ちょっと考える余裕が「こちら側」にも欲しいのです。

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秋葉原の今後を考えてみる

 久々に日曜昼の秋葉原に行ってきました。

 TV取材は3つも見かけたし、道ばた撮影会が突発していたりと噂通りというか、聞きしにまさるカオスっぷりでした。

 さて賑やかな秋葉原は大変けっこうなのですが、なにがこんなに人を集めているのでしょうか?

 今日の自分の場合は、安いSDカードとか探しに行くというという目的があります。かなりの人がマニア系のショップ目当ての買い物といったとこでしょう。

 ほかは休日なので「メイド喫茶」等を含めた観光気分といったとこでしょうか。

 一般的に活気のある商業施設というのは、例えば駅から住宅地までの導線上に商店街があったりとか、観光拠点の間に土産物屋があったりなどしてます。いずれも人の流れるラインが出来ているところがポイントです。

 休日の秋葉原は「何かありそうな歩行者天国」がラインの目的地なのかもしれませんが、それも無法地帯の用に振る舞う人間の出現で、荒れてきているのが現状です。

 ここで、「人がどこかへ向かう」というラインが無くなったらどうなるでしょう?平日の秋葉原よろしく、かなり散漫な感じになりそうです。商業地域としての弱体化はあとあと効いてきます。

 一つの案としてモール化というのを歩きながら考えていました。要するに交通を遮断して常時歩行者天国みたいにすることです。

 今の秋葉原は商業的に魅力が無いどころか、むしろ沢山来すぎて処理し切れていないところがあると思うのです。 結果。多くの客を飲み込める大型ショップのヨドバシなどに買い物が集中して、町の小さなショップがバタバタ潰れて行ってる気がします。

 モール化は商業拠点の創出なので、例えばその周辺のビルにマニアックな店を集中させたり、休憩所などの整備などの本格的な設備投資も考えられます。

 モールは一カ所だけでは無くある程度四方八方に置いても良いし、例えば神田明神から駅までのラインを参道として整備するなども良いと思うのです。

 今のままでは、ホコ天が死んだら、あとは歩きにくいだけの場所になるのではないでしょうか。

 行政や出店者も含めてまち作りを考えないと、早晩力尽きるのでは、と思うのでした。

 

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児童ポルノ規制で求められること

 とりあえず、主張するところの二次規制は解除された様子ので一安心。

「しかし、この規制論が最期とは思えない  

・・またいつかヤツは帰ってくるに違いない」 (第一部完)

 ってなとこでしょうか。

 で、ボールが投げ返された以上、こちら側も自制が求められていると思うのです。

「被害児童がいないことを免罪符に、

 扇動的なものを取り扱わない」

 このタガが外れたら、また同じことの繰り返しです。

 犯罪者が、マンガやアニメを持っていたからと言って、すべからく元凶とするのは間違いであると思います。

 ただ何人も出てきたら、自分たちで疑う必要性が出てくると思うのです。いわゆる「抱き合い心中」を図られても困るわけで、容赦や事情を飲み込みつつ「これはアウト」という判断基準を持つ必要性があると思うのでした。

 国際的にも面白い、日本ならではの判断と思うのです。ある種、施政側が道徳的倫理観を振りかざす前に、実際に「良くも悪くも日本の文化」と認めたことになるのではないでしょうか。

  • 創造、偶像に関してタブーを持たない
  • 手先が器用である
  • 創造されたモノに金銭的な評価が下る(商売になる)

 これは、日本独自のものだと思うのです。

 かって「黄金の国」と呼ばれた日本。いまなおキャラクターのわき上がる創造主の金脈として在り続けると思うのでした。

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囲い込みビジネスの甘い罠

 オタク業界、一番強いのは何かというと、これはやはりコンテンツホルダーと言うことになります。

 要するにヒット作を生み出した人間が一番強い訳ですが、関連企業としては好き勝手に力をふるわれては迷惑なので権利を買い取って、新たなコンテンツホルダーとなるわけです。

 昨今はネット発のすっぴんタイトルとかに対しては、あっという間に余所からのコンテンツ企業が現れて群がる傾向にあります。すでに名の通った段階で権利を買い取ろうとするのですから、自社で育てるより初期投資リスクが少なくてすみます。

 権利を買われる方としては、宣伝もしてくれるし、先生扱いで至れり尽くせりのようですが、実際には生み出したものの資質みたいなものを売り飛ばしてるわけですから、自分で何かやろうとしても、権利関係がネックになって何も出来なくなります。 最初のヒットの立役者が、追いやられてる例なんて枚挙にいとまがありません。

 結果として、売れる側にのみ宣伝力をつぎ込んで、売れないタイトルは飼い殺しというパターンもあるわけです。

 前にとあるプロデューサーから言われたことがあります。

「なにか面白いことを考えついたのなら必ずマンガでも小説でも完成させてから、持ち込みしなさい。センセイ以外は人間扱いされません」

「そして必ず権利を手放さないこと。苗から実ったら彼らが全部喰ってしまうだけです」

 ネット発コンテンツが多い時代になってますますリアリティのある言葉だと思うのでした。

 ちゃんとタイトルが好きで責任持ってやってるとこもあります。とちょいフォロー

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中身が無いものを持ち上げるな

 最近「中身がよくしれないものを煽ってるのでは?」文章をよく見ます。進行中や、これから放送、公開する作品は顕著です。

 宣伝文感想というのは全然違います。宣伝なら宣伝のスタンスというものがあります。中身の分からないまま書くのは筆者が全く責任を持たない行為でもあるのです。推測で書くのなら推測であるとはっきり明記しておく必要があります。よく分からないものを盛り上げようとするのは扇動以外のなにものでもありません。

  周辺の盛り上げに気をよくして自分以上の力を出す作家さんもいれば、その逆もいます

 実力のないうちに過剰な評価を受けるというのは、大変危なっかしいことでもあります。実際過去歴にあったキャリアとされるものも、他人のイメージの借り物だったり、加工だったり、場合によっては名前のでない共同作業者の力が大きい場合もあります。 そんな人間が過剰に盛り立てられたらどうなるでしょう? あまり良い結果は出ません。名前だけ売れて駄作量産マシーンと化すこともありますもにゃもにゃもにゃ

 わたしも「この人こそは!」と思って熱心に書いた作品がアレすぎる出来で顔をまっかっかにして反省したことがあります

 どうやら煽ってしまった分、私の地獄行きは確定のようなので、せめて同じことは繰り返してくれるなと思うのでした。

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ニコニコ動画は宣伝

「らき☆すた」売れまくったのは 違法投稿が「宣伝」してくれたから

 こういうコンテンツ分析にはなんだか違和感が。(本来の話が要約され、コトバの部分が抽出されてる、というのもあるかもしれませんが)

 一生懸命投稿するヒトというのはクリエイターに対するリスペクトであり、投稿することによって満足感を得たいという疑似クリエイター気分だと思うのです。

 会社を儲けさせようという意思なんかまったくないと思うのですが。

 これをもって、良展開したビジネスモデル例とか言われても、ちゃんちゃらちゃらちゃら。少なくとも角川グループに対する善意の応援者ってことは無いでしょう。

 良いクリエイターは優遇されて、ビジネス的にリターンがある。そういった「人は城」的な発想無しに、時系列上にあったことを正解とするのは、無意味なのではないでしょうか。

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キャラ信仰が身を滅ぼす

 地方をどう活性化していくか? この方法論として最近急浮上してきたのが「キャラブーム」だと思うのです。

 ひこにゃんのヒットに触発されたのか、最近は地方キャラを登用>グッズ化>話題になり権利収入も得られるという見事な現代錬金術。 ひこにゃんの経済効果は170億円などと試算されてるわけですから誰でも飛びついてしまうのはしかたのないことでしょう。

 成功した地方キャラ

  • ひこにゃん 彦根城キャラクター 版権騒動を起こすほどの人気
  • らき☆すた 既成のキャラクターを取り入れたパターン。元の作品に爆発力があったため、キャラファンの移植ができた例

いつの間にか根付いてるキャラ

 日本人は生来のキャラクター好きという資質があるのでここに目を付けるのは、とてもによいことなのですが、どうも駄キャラ化して、むしろグッズの費用分悪影響というパターンが今後とも増えていくと思うのです。

 キャラの経済効果はごっつバブルと常々考えています。萌えキャラだろうがなんだろうが同様に。シンボルである以上おおむね「1回こっきり」なので、企画なり振興立ち上げの博打みたいなモノだと私は考えています。

 幸いにして、ゆるキャラの好感パターンは決まっているので

「癒し系」「かわいい」などのポイントを押さえていればそこそこのものにはなるのですが、シンボルがムリヤリだと、急に微妙なモノになります。(この微妙なキャラ好きもいますが)特にセンスのない人に選ばれてしまうと不幸な結果になります。

 キャラクタープランナーやデザイン事務所にごっそり持って行かれるのはまだ良いほうで、今後は詐欺まがいのキャラクター売り込みなども充分考えられます。

 天然物のキャラは大好きだけど、ありふれた養殖物のキャラを好むのは少ないと思います、今後「ヒット理論」にそったキャラが生み出されるほど形骸化していくのは必至でしょう。

 「地域の顔」はあって良いものですが、失敗するリスクもワンセットなのは忘れてはいけないと思います。

 余談ですが去年、遠野に行ったときに河童のクゥぬいぐるみがあったら買おうと思っていたのですが、見つかりませんでした。 残念至極

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児童ポルノの規制

 またぞろ、やり玉に挙がった児童ポルノ規制ですが、これって票集め見え見えの規制論なのでかなりうんざりしてます。

 判断のつかない未成年を、ポルノという市場に出さないためというのは至極ごもっともでなので、現実にいる人間が対象になるのは仕方ないことです。 単純所持も認めないとなると、HDDにある画像で逮捕なんて事も次々出てくることでしょう。 ロリさいこー!とか言ってると内偵されて踏み込まれる なんてことも充分あり得るでしょう かっこわらい。

 過剰な規制に対抗するにはどうすればいいでしょう。

 これは単純 選挙に行きましょう。

 身近な問題と共に、もうちょっと政治にも関心を持って選挙に行って、オタクなことに関心のある層の票率を上げることが民主主義的な解決方法です。

 納税もしない、投票も行かないなら政治レベルではいないも同然なので、どんなに虐げても票には響かないというのは重大なことなのです。

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ゾーンニングの必要性

 表現の自由は、無制限の許可を与えられているわけではありません。いろいろとやってはいけないことがあり、中には成人向きとされるものがあります。

 ゾーンニングの原則 未成年に成人向けを与えるな。 というのはもっともな意見ですが、では何故未成年に与えてはいけないのでしょうか? これこれこういう理由で未成年お断りという説明がされたのをあまり見たことがありません。

 個人的には、セックスと殺人の取り扱いがあると成人向きということにしていますが、これも厳格な基準があるわけではありません。 先日も良い推理ものだからと言われ薦められた本は、冒頭いきなり射精の虚脱とセックス観の話で始まっています。小中学生も気軽に手に取れる本からしてこんなものです。もちろん成人向けなんていう指定はどこにもありません。今時の少女コミック誌も憧れの異性とのセックスが成就点、もしくはそこから始まる愛憎劇なんてのはごくごく普通にあります。

 ともすれば、悪書としてやり玉に挙げられる成人向け同人誌ですが、キャラクターという著作物を利用しているという点を、ちょいと脇に置いておくと、かなりの高確率で「セックスを無理強いする」というシチュエーションに出くわします。鋭利にスパっと動機にメスを入れるなら、青少年が内包している性欲の最も簡単な解消法ってなとこでしょう。

 こういった点を鑑(かんが)みてようやく強姦示唆、あるいは人格を考慮しない一方的な欲望の解消法が垂れ流されるのは社会風俗的によろしくない。という回答がでてくるわけです。

 逆に考えてみましょう。セックスする登場人物が「相互了解」という点を加えるだけでなかなか面と向かって怒れないものになります。

 強姦まがいのものが大半を占めていて、なおかつ無節操に垂れ流されるようなら、それは厳しいゾーンニングされるべきだと思いますが、エロいのは悪では無いのです。むしろ未成年にだって性欲はあるのだから、ちゃんとしたエロはお届けするべきだと思うのです。

 そのためにも描く側扱う側は「ここから先は見せてはいけない」という価値基準をしっかり持つことが大切だと思うのでした。それが出来ずに無節操なものがばらまかれるなら、厳しくなるのは自業自得でしょう。

 これに、余所様のキャラクター利用というのが乗っかるので、さらにややこしいことになるわけですが。 

 

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ゾーンニング

ショタイベントが入場者丸ごと、年齢検査になったそうです

 主催者氏の臨時判断なので、これがイコール、すべての同人イベントで同様ってことではないようです。 

 個人的に気になるのは「2割以上成人向けがある場合はゾーンニングを要請」といったガイドラインで、これが施設貸し出し側の基準であるなら、コミケ三日目の東館とかの入場は大変なことになるんじゃないかと思うのでした。

 

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つまらないの研究(3)

 最近『リトルバスターズ!』をやってます。去年のうちに買ってたものですが、なんかこうずるずるとはじめる機会を失って、今日に至るといったありさま。

 購入後1回はインストールして、プロローグは見てたのですが、途中でバトルパートが始まったのを見て、なんだかルールを覚えるのがめんどくさそうなのでほっといた ってとこです。 実際はそのバトルパートもスキップ可能なので「ルールを覚える」は、まったくの誤解だったわけで、今のとこちまちま進めてるとこです。

 物語には概ねマイナールールが存在します。一般小説であっても社会関係や、一般知識がないと面白くありません。これは誰もが知ってるようでいて、共通とは限らないもので、車の運転一つにしても、中学生が読むのと免許持ちが読むのとは、絶対的な差があります。これがSF、ファンタジーになればさらに常識を覆した「ルール」が存在します。

 最近見た中では『仮面ライダーキバ』が、どうもルール説明がうまくいってない例のように思えます。二つの時代が交錯している展開らしいのですが、どうにもそれがハッキリとしない。一例を挙げると「床に2008と書いてるからこれから2008年の話」と言われても、ぜんぜんピンと来ないわけです。2話以降順次固めていけば問題ないわけですが、それがモタモタしてたら、どんどん視聴者を離してしまうのではないかと思うのです。

 人間の生存時間が有限である以上、すべての創作されたものを視聴するのは不可能、ゆえに「つまらない」を自己感知するのは本能的なことである。

 その「つまらない予測」を覆すためにも「いかにルール説明を速やかに行うか」は重要な要素ではないかと思うのでした。

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プラモ特典

 宇宙戦艦ヤマトDVDBOXのプラモが欲しいぃぃぃぃ

 と思う今日この頃です。庵野氏はフォルム(外観印象)ではなくマッス(量感)で絵を描く人だと思うので、非常に良い具合のバランス感覚なんですなー。デザイン上のヤマトや、作画されたヤマトに比べると「理想型」優先の庵野ヤマトだと思いますが、これはこれで美しい。原型が真鍋正一氏というのも模型者なら高ポイントでしょう。

 ならボックスかえばいいじゃーんってとこですが、欲しいけど買うつもりは無いです

 なぜなら元データがフィルムなら、放送当時の最高画質により近づいたのは次世代ディスクってことになるわけで、すでにアナログ最高画質のLDボックス買った人間には、過渡期デジタルなんてあまり価値がないでござる

 LDハードソフトとも劣化でもう見れないからまた買えってことなんでしょうが、そんな永遠永遠(とわとわ)詐欺商売が何度も通用するかアホンダラ! ってことでLDでボックス買った以上、最低限ブルーレイにならないと買わないもんね。 あと最初のDVDボックスにあった別バージョンテイクの特典も割愛されたら買う気おきません。

 4万円のプラモを買ったら即組み立てるかと言われれば、十中八九もったいないから組み立てませんわなDVDボックス買ったら、予備パーツとして請求し放題ってことなら買いますので、そこんとこバンビジさん分かってね

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オーディオコメンタリー

 先日買った某DVD。オーディオコメンタリーが特典なので聴いてみたのですが、これが何ともひどい出来でうんざり。スタッフコメントで技巧的なことが語られているのですが「何を話すか」がまるで決まっていないので、居酒屋の無駄話を聞かされているような感じ。職業柄インタビューテープ起こしなんかもやってるので22分の番組中、使えそうなところをピックアップしながら聴いていたのですが40字×40行のフォーマットなら1枚埋まらないんじゃないかと言うぐらい薄っぺらな話で、完全に時間の無駄でした。

 インタビューを聴きに行く手順としては、事前に対象者に聴きたいことリストを渡しておきます。言いたいことを簡潔にまとめられる人なら、発言を文字起こしするだけでOKで、通常は語ってもらった内容を要約してまとめるのが、インタビュアーの仕事です。

 同じようにオーディオコメンタリーも「発言するガイド」をちゃんと用意しておかないと使いものにならない音声が録れてしまうことをもっと自覚するべきだと思うのです。

  • 出演者自己紹介
  • 役職内容
  • 要所コメント(○○:○○ ××のシーン)
  • 個別でコメントしたいシーン
  • 禁則事項:私事、固有名詞 誹謗中傷等

 これだけで充分なのです。人間見たものからいきなりコメントしろと言われても、内容がまとまるはずがありません。特にシリーズ物のDVDに顕著ですが、「オーディオコメンタリーだから適当なこと話して」みたいなやり方で中身が充実することは絶対に無いと言えます。

 時間の無駄でしかないコメントを付けて、特典でございと言い張っても、購入客が「また意味無しコメントか」と甘く見ればわざわざ購入はしないでしょう。

 意味無し特典を付けて、買ってもらえないとぼやかれても、そりゃ自業自得です。

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つまらないの研究(2)

 つまらないというのは、防御反応の一つである説。

 ってことで考えてみましょう。まず人間の平均寿命を70年としておきます。これに365をかけると25550日生きてることになります。物心つくまでの時間は数年の誤差範囲としてカウントしません。

 で、ここでオタクな事に費やせる時間というのを考えてみましょう。手っ取り早く一日1時間として25550時間が人生のオタクフルタイムとなります。これを24時間で割ると1064日しか趣味嗜好に時間が費やせないことになります。

 さて、アニメの鑑賞時間というのを考えてみましょう。作品単位で1.5クール分とします。19話として1話30分なら9.5時間と算出します。そうすると毎日一時間アニメを見ても2689.4作品しか見られないと言うことです。ゲームのプレイ時間とか漫画やラノベ読んでる時間を考慮すると2000タイトルぐらいしかマトモに見る機会がないわけで、リピート分などを考えると千数百タイトル強ぐらいしか人生でまともにみれるアニメがないわけです。これがバリバリの超オタクコース。

 一般人の鑑賞幅をこの1/10とすると百数十タイトルとなり、ぶっちゃけ1年に2本ぐらいしかマトモに見る機会がないと算出できます。

 多少増やして数タイトルとしても、明らかに今ある作品全部を鑑賞する数ではありません

 そうなると「拒否する理由のあるもの」から切り捨てないと貴重な時間が無駄になってしまうわけです。 時間が有限である以上「つまらない」もしくは「つまらなさそう」に手を出す余裕は全くないのです。

 以上から「つまらない」を察知知覚するというのは、時間消費に対する本能的な行為の一つであると考えられるわけです。

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「つまらない」の研究

 DVDが売れないという記事で、ヒステリックなまでに「つまらないから売れないんだ」と主張する人がいます

 これに関しては私はかなり憤りを感じています。ものを作る人間にとって作品評価は、他人が思う以上にウェイトが重いものです。それをただつまらないの一刀両断にするのは、まさに暴力行為であると断言します。せめて売れてない、「何が」「どれが」は入れるべきでしょう。

 ほとんどの「つまらない」は「関心がありません」という意味で使われているのではないでしょうか。見てもいない、少々視聴した限りでつまらないというのは大変失礼な言葉だと思います。人には嗜好がありますので、それ以外に興味がないのは当然です。見てもいない作品のDVDが売れないということに対し「つまらないから売れない」というのは、傲慢すぎる言葉でしょう。

 ちゃんと視聴したうえでの「つまらない」は重要な評価として受け留必要がありますが、何も時間を割いていない人間の「つまらない」には顔面グーパンチを喰らわせても良いという法律が欲しいところです

 さて、関心を持った上での「つまらない」は二分されるんじゃないかと考えています。

 一つは不価値のつまらない。価値ならず、つまり当人の嗜好などにまったくプラスにならないため、極端に関心の薄い「つまらない」です。深夜番組アニメを見ても、全く趣味が合わずに「つまんね」というのはこちらのつまらないです。

 もう一つは無価値のつまらない。 要するに同じパターンの話を似たような絵で繰り返しても、おもしろみを感じる価値が薄れているつまらないです。

 個人的には無価値のつまらない作品が量産化されても、そりゃセールスポイントがないんだから売れなくて当然と思うわけです。 それでもムリヤリ売りたいときは本能に訴えかける=すなわちエロしか無いわけです。

 中身がない物を流行の言葉に踊ってやっつけで作ってしまい、それが売れないなんて言われても、「あんたはオタクに一体なにを期待してるんですか」と言うぐらいしかありません。

 量産されているアニメは話数じゃなくて、「作品単位」で売るべきだと思ってます。冒頭1.2話の話が薄くても後半盛り上がる話も多いし、最初で気合いいれて後半ダメになっても、作ろうとした意図ぐらいは伝わります。全体像の分からない細切れで売ろうとしているのは集中力の分断は言うまでもなく、作画なアレな回まで同じ価格で売るのは「面白いのがあるある詐欺」じゃないんでしょうか。

 私としては「売れないんだけど、本人が納得した上でなんだかへんてこな物を作り続けていること」こそが宝の山だと思ってるので、「売れるから」という理由優先に人を動かそうとしても、歯車がかみ合わないんじゃないかなぁと思うのです。

 

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アニメ以外もクライシス

 さっき某社の人と話をしてたら

「アニメだけじゃなくてフィギュアも売り上げが落ち込んでいるんですよ」

 とのこと。

 某大手通販業者のデータだと、主力商品が無いために全体的に減少傾向ということで、言ってしまえばオタク不況がやって来たんじゃないかってことで、いろいろビクビクしているとのことです。

 ニコニコ動画が、金銭的に負担をしない「(経済的に)死にオタク」を沢山作ったことの弊害が今市場に現れようとしているようです!

 なーんてことを書くと、なんかもっともらしくて、犯人特定ができてみんなスッキリですが、私としては、今は次に大消費させるための閑休期であり、オタクな人々はその懐に爆発寸前の消費金をたくわえているんですよ!ってことで。

個人的な主張

 DVDは1話千円が妥当、単発売りせず1クール12000円で売るべき!

 それなら、好きな作品の数だけ買おうじゃないか!

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鏡音が売れてないとか

 今日は皇居の一般参賀に行って、靖国神社に参拝し、神田明神も行って秋葉原で初売り廻るという正月ゴールデンコース。

 神保町のキムラヤでスピーカー付き首枕を買ったり、MIDIキーボードを買ったり、レイトン教授と悪魔の小箱を買ったりとか。秋葉原ヨドバシでは新春初売りで500Gの外付けHDDが14800+20%還元という爆安ぶりだったので、予備ドライブとしてこれもいっちょ購入。

 年末販売の鏡音リン、レンが売れてないとかで見て回ったのですが、既報通り売り切れ店は一つもなくて、最安値も13700円ぐらいと下降気味の様子でした。

 キャラ萌えとは無縁の職人ソフトが売れる方が変なので、たぶん「まともな購買層に戻った」だけなんでしょうが、「売れてない」なんて言葉が出るのは、周囲の過剰な期待ゆえってとこなんでしょうか。

 キャラクターとうまく組み合わせた、ソフトが出れば売れると思うのですが、今から開発はじめたところで年末ぐらいだしなぁ。実際に歌ってるようなアニメーション付きのバージョンアップが出たら、売れそうなのですが。

 初心者向きにMIDIキーボード+レッスンDVD付きのパックは出してほしいものです。

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葱(ねぎ)色コミケ

 コミケ三日目に行ってきました。

 大方の予想通り初音ミクものの爆発力と点在はすさまじく、どこにいっても突発ミク本を見かけるという有様でした。

 いろいろと見せて貰ったり買ったりしつつぶらぶらしてましたが、元設定が少ないせいか味のあるオリジナル設定も数多くありました。なかにはいかにも”知らずにやっつけたな!"というのもありましたが、これもまたご愛敬。

 シンボルカラーの浅葱色と、記号がハッキリしてるので、「誰が描いても初音ミク」と言う点とネットでの爆発力(同時期に、誰もが同程度の情報を得た)が葱色に染まった要因ではないでしょうか。

 来年は何がはやりますかねー? という話になったのですが、どうやらG00の後枠にマクロスFが来ると言う話なので、このあたりは有望視しても良いんじゃないかと思うとこです。    マクロスブーム‥なにもかもみななつかしい。

 では皆さん良いお年を

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クリスマス和解

http://blog.crypton.co.jp/mp/2007/12/post_63.html#more

http://blog.nicovideo.jp/niconews/2007/12/000756.html

 もはや泥試合かと思われた初音ミクのJASRAC登録から、クリプトンフューチャーメディア対ドワンゴ対立が連休明け一転和解。 非難合戦でもはや意地の張り合いかとおもわれていただけに、大変嬉しい歳末プレゼントとなりました。

 とりあえず

  • 初音ミクの商標権(名前)、キャラクターはクリプトンのもの
  • 作成された楽曲は、作者のもの

 という2点が明記されたのは、当たり前なんだけど、快刀乱麻を断つが如く爽快な割り切りで高く評価したいです。

 もう一点

株式会社ドワンゴ・ミュージックパブリッシングは、今後「初音ミク」ソフトウエアを使用して制作された音楽データ(原盤)に使用されている楽曲が、初音ミクをつかった音楽データで一般に有名になった場合で、楽曲の管理を著作者に申し入れる際は、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)への信託、イーライセンス等他の著作権管理団体への信託、管理団体非信託の選択肢があること、及び各々を選択した場合のメリット・デメリットを説明し、いずれとするかにつき、著作者の意思を確認いたします(引用)太字は本ブログ筆者による。

 衆人注目の中で、もはやJASRACが1権利団体で絶対的ではないと、表記したのはすごいことではないかと思います。これは大きな展開期の予感がします。ぶらぼー

 みなさんにメリー歳末&(一部の人には)コミケでの良い買い物を!!

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初音ミク事情

 同人グッズに規制が入ったとのことで、何かややこしいか事になるかと思ったら周辺が分かりすぎてる状況にいたく関心。オンビジネスとして動いちゃった以上は触れて欲しくないところがあるわけで暗闇の中のつかみ合いはまだまだ続くようで。

 エロいのはみんな初音三久(はつねさんきゅう)とか名付けて、新たに非公式なキャラ設定作ってパチモン統合しちゃえば面白いのにと思ってみたり。 「あら、エロいのが無ければ作ればいいじゃない」的マリーアントワネット理論。「適度にかけ離れた」のさじ加減が難しそうですが。

 オンビジネスと言えば、「みっくみくにしてあげる【してやんよ】」JASRAC登録問題のほうが深刻で、こちらはギスギスする火種になっちゃったのではないかと(登録曲はハブるとか)。どうやらうっかり登録が原因のようですが、遊びで音楽を扱う人にはJASRACは不要。お金で音楽を扱う人には(基本的に)JASRACが必要ということが根源にあるのかも。

おまけ 昨日のヤツをやっつけてみた。

Rollymiku

Rollyrin

 もうこれで充分行ける気がするのはじぶんだけか!

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ヒット商品のヒント

初音ミク×Rollyのこちらの動画の見てふと思ったのですが

 Rollyのパカパカ部分、浅葱色に塗り替えたら爆発的に売れ出すんちゃう?

オレンジ色でもOK!

 人造歌唱ソフトと人造ダンシングマシンとの合体はものすごく相性良いと思うのですが。

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初音ミクと著作権

 公式なボーカロイドのガイドラインが出たようです

 どうも、シンプルすぎて誤解を招きそうなので私なりに考察。

(引用1)弊社がキャラクター・ボーカル・シリーズのために公開している画像(以下「原素材」)がモチーフとなっている制作物(以下「二次創作物」)については、個人または同人サークル等が、自らの創作により、営利目的ではない趣味の範囲で制作し頒布する場合(中略1)に限り、一切の制限を行っておりません。

 コミケに出展するぐらいですからこの辺はよく分かっていることと思います。コミケで行われているのは定価のついた流通販売ではなく、創作物の頒布なので、オリジナル画素材を流用しない限りはコミケの同人誌売りとか、サイトのファンアートとかはフリーであると考えてよろしいかと思います。

  じゃ?書店売りは?

 はい、この辺からややこしくなります。書店売りを一切認めていないところもあるので、厳密に言えばアウトですが、コミケという狭い場所での頒布は入手格差が発生し、結果的に転売目的購入などで創作者の意図とは違う流通になってしまうので、書店売りは頒布の延長上とも取れるわけです。(この言い分が通用するかは、裁判所でないと分かりません)私が思うだにこれもセーフ。

 上記ガイドラインは禁止行為指定ではなく「(許可内の)一切の制限を行っておりません」なので「あんまり調子こくと制限しちゃうよ」という意味だと思います。ビバ親告罪、素晴らしきは曖昧な日本語ですね。

 引用には中略1が存在します。

(但しゲーム作品を含むプログラム、立体物、衣装を除く)

 多分、かなりの人間がこれ見て真っ青になったのではないでしょうか。要するにゲーム禁、フィギュア禁、コスプレ禁です。たぶん製品権利がどこかに降ろされて、その中の包括契約事項に入っているのではないかと思います。個人の頒布すらも認めていないことになります。これに関してはどこまでOKなのかさっぱり分かりません。

 以下私の私的な考えとして、PC類ですが発生理由から考えて「自ら二次創作した画素材を使った同人ゲーム、フラッシュ、DVD」は慣例として大丈夫の筈なんですが、文言上は完全アウトです。

 フィギュアも同様に、原型師のオリジナル、または二次創作の作者の許可を得た上でワンフェスなどで、限定版権取ったものは大丈夫だと思います。勝手に無限頒布されるのを避けるための制止文言と思われるので、「著作権フリーだと思わないでくれ」と言う意図ではないかと考えられます。これも文言上はアウトになります。

 コスプレ禁。いや、まさかそんなはずは…。しかしどっかのAVメーカーみたいな人気便乗型もあるのでなんとも言えませんが、常識的に考えてコスプレはフリーだと思います。ただし勝手に自サイトで販売頒布するなってことじゃないかと思ってます。文言上はアウトに近いです。

 あと、

(引用2)ただし、「原素材」や製品イメージを著しく損なうと判断される「二次創作物」の頒布は制限させていただくことがあります。また、公序良俗に反する、若しくは第三者の権利を侵害する「二次創作物」の頒布は許諾いたしません。