テレビと広告の未来

 録画させないとかアホなこと言ってる連中はさておいて、もっとスポンサーと仲良くなろうビジョンを。

 広告主>広告代理店>制作会社>(テレビ局ぬかして)>視聴者の枠組みが作れたら新しいことになるのではないかと。

  • 番組は最初からネットなどで有料配信
  • ただし、スポンサー広告を試聴すれば、課金はスキップされる。<最初に選択できる>
  • 録画にはさらに追加料金で権利者に還元。またはスポンサーアンケートに答えると無料とか。

 広告見たくない人は自腹。こうすれば(番組提供)=(広告によって賄われる)の図式がハッキリするので、みんなが積極的に広告見ようという気になると思うのですがいかがでしょうか。スポンサーは話題性のある番組に期間契約、集中投資して新作の予算に充てる。内容重視なので、タレント戦略で最初の試聴数を稼いでも、内容がくだらなければはいそれまで。

 配信期間は1年ぐらいに限定して、以下ソフト販売に切り替えれば良いと思うのです。CM無しの番組なんかは、有料のままなので、むしろCM入れて下さいと懇願したいぐらいです。

 現在の配信普及率と、テレビの普及率が圧倒的に違うと言われそうですが、購入客の絞り込みができるので実際に購入する顧客が1,000人に一人なら、理論的には(日本5000万世帯にたいして)5万世帯の試聴が確保されていれば同等なわけです。

 配信は メインサーバー>ネット回線>セットトップボックス+テレビ、またはPC。

 CMスキップはオートにしておけば、普通のテレビ通り見られるし、視聴者のタイムシフトに完全対応。余った時間はCM専用枠として配信。

 あと、アナログ一斉停波とかアホなこと言わずに、NHKだけ残せば問題は少ないかと。公共放送かつ、受信料徴収してるんですから、もう見れないからNHK払わない騒ぎが絶対に起こると思うのです(そのためか今NHKは宅配徴収止めて、全部を口座引き落としにする計画、訪問人件費も削減で一石二鳥)。

  民放見たければデジタル買えばいいし、帯域はそれなりに空くので電波皮算用もそれなりに満たされると思うのです。

 そうなると、NHK一局集中になるので、また民放と大喧嘩になりそうですが。

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消費税を上げる前に

 消費税のアップは、直接消費行動に響くので、回避するのが原則でありましょう。消費社会に密接な人間としては、見過ごすことはできません。

 福祉の充実を図るなら、まずは宗教法人法を改正して、非課税枠の完全撤廃、さらにお金の流れを"誰にでも観閲できる"ようにするべきだと思うのです。

 宗教観は自由ですが、"死が訪れたら、何人たりとも受け入れる"宗教と"死んだら地獄に堕ちる"と脅して、個人が理解を深めて徳を積むことと、財産を捨てさせることを強引に同一視させ、個人の資産を収奪する宗教を一緒にしてはいかんと思うのです。それは宗教でなく脅迫ですから

 鎌倉が好きなので、暇があったらぷらぷら行ってますが、古刹(こさつ 由緒ある古いお寺)を拝観料でやっとこさ支えているようなとこと、教祖様の権威付けにお金をつぎ込むところが同じ扱いであってはいかんと思うのです。課税負担が増えますが、ちゃんと誠実な所には檀家、信者も増えると思います。

 宗教に取られるお金を、どんどこ消費に回すだけでも、景気は変わってくると思います。

 とかく宗教は、忍耐と我慢をもって徳を深める物ですが、それを悪用されてはいかんと思います。喜捨(要するに宗教団体に寄付)する前に、その団体の財務状況を確かめられるぐらいできても当然だと思うのです

 消費税アップの前に、権威威圧宗教から税金むしり取って下さい。 ちゃんとやってくれる議員には投票しますよ。

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秋葉原でできること

 AEDを寄付しよう という志は立派だと思います。

 しかし、こういうことになると話は別で、むしろ女装やエアガン持ち歩きを追放厳罰化する署名運動を、推し進める方が安心安全な秋葉原に繋がるのではないのでしょうか

 個々の趣味は尊重するべきですが、それは他人に開陳して回るものではありませんし、その趣味を持たない人間にとっては非情に不快な場合もあります。これは明白な迷惑行為です。

 こういうことも想像できないような、幼稚な判断で自己主張を通すなら、あの卑劣な通り魔犯人とやってることは同じじゃないのですか?

 私は、どこにあるかわからないAEDの設置よりも、応急処置講習会を無料で開く方が、即効性のある人命救助に役立つと考えます。アニメイトや、とらのあなとか、ソフマップにゲーマーズ等々が売り上げの何%かで、自店舗の前にAED設置を行いますというのなら、喜んで買い物に行きますが。

 応急措置の基礎知識 <是非とも見てください。

 秋葉原はいつから、あんな場所になったのでしょうか。

 マスコミの面白半分の取り上げ方も重要視すべき問題ですが、我々の意識の甘さこそが、悪化させた第一級の戦犯だったのかもしれません。

 こういうことを本気で言ってるなら(引用記事部分、レスは除く)、事態は思った以上に深刻です。

 歩行者天国というのは車両封鎖による歩行者専用道路を指します。歩行者専用でも道路交通法の適用外とはなりません。道路交通法を見てみましょう。

  第五章 道路の使用等

    第一節 道路における禁止行為等

第七十六条  
 何人も、信号機若しくは道路標識等又はこれらに類似する工作物若しくは物件をみだりに設置してはならない。
  何人も、信号機又は道路標識等の効用を妨げるような工作物又は物件を設置してはならない。
  何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。
   何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。
  道路において、酒に酔つて交通の妨害となるような程度にふらつくこと。
  道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。
  交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること。
  石、ガラスびん、金属片その他道路上の人若しくは車両等を損傷するおそれのある物件を投げ、又は発射すること。
  前号に掲げるもののほか、道路において進行中の車両等から物件を投げること。
  道路において進行中の自動車、トロリーバス又は路面電車に飛び乗り、若しくはこれらから飛び降り、又はこれらに外からつかまること。
  前各号に掲げるもののほか、道路又は交通の状況により、公安委員会が、道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれがあると認めて定めた行為

 要するにコスプレで練り歩くだけなら、100歩譲ってまあアリだとしても、立ち止まって撮影やダンスをし始めたら、交通妨害に該当し、道路交通法違反になると言えます。

 同時にこういう行為を発見した場合は、ただちに通報できます。客観的に見て目に余るパフォーマンスに対しては、個人であっても「道路の交通妨害、無断占有の通報」ということが可能です。常軌を逸した行動には、私刑や罵倒をするのではなく、静かに公務に任せたほうが良いでしょう。罵ったりすれば同罪です。

 「秋葉原を返せ」もなにも、最初から遊びの場では無かったのです。電車の中で騒いでいる子供と同じです。彼らを放置して甘やかしたことに対する責任も、我々の問題として感じる必要があると考えます

 

 また、ナイフの問題も真剣に考えるべきでしょう。ダガーナイフを禁止とは滑稽な限りです。愚策の典型と読んでも良いでしょう。

 ナイフファンの人なら、アウトドア、緊急時にいかに必要か、ナイフのプラス面も積極的に啓蒙するべきでしょう。そのうえでちゃんと銃刀法を知らしめて欲しいと思います。

(刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物の携帯の禁止) 

第二十二条  何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない。ただし、内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが八センチメートル以下のはさみ若しくは折りたたみ式のナイフ又はこれらの刃物以外の刃物で、政令で定める種類又は形状のものについては、この限りでない。

罰則
第三十一条の十八  次の各号のいずれかに該当する者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する
  第二十二条の規定に違反した者
こちらがわかりやすいです。
銃刀法に関してはこちら
 
 要するに他人にナイフを見せた瞬間に即通報は可能なのです護身用は正当な理由になりません。警棒も武器携帯として扱われるそうなので、人混みのある場所で物騒なものは持ち歩かないことがなによりです。
 
 事件が起こった後の救急救命も大事ですが、なにか予知できそうなことには積極的に対応していくことが、未然に防ぐ一番の自衛になるのではないでしょうか。
 秋葉原がよくなるためには子供(年齢不問)を叱れる大人の街に脱皮することではないでしょうか。

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渡り読書の薦め

 最近真夜中に、本持ってマクドナルドに出かけています。

 24時間オープン店が増えたので、100円のドリンク(プラスアルファ)で転々としつつ、主に図書館で借りた本を読破中。

 本を読むのもけっこう環境が大切で、私の場合はうるさくない、姿勢がきつくない、気が散らないなどの条件が必要なのです。ついネットが気になる自宅よりも、夜中のマクドナルドのほうが集中して読み込めます。

 周りで騒がれるとアウトですが、ノイズキャンセリングフォンとか、iPodとか持ってくとかなり素敵な読書空間に早変わり。

 積ん読という言葉あるぐらい、買っても読まない本がかなりあると思います。場所を変えたら意外と読みこめるものも多いので、「いつか読もう」の本持って出かけてみるというのはいかがでしょうか。

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モラルのない秋葉原

 先日秋葉原の事件現場に手をあわせに行ってきました。

 中央通りに足を踏み入れたあたりから、気分が重苦しくなります。

 献花台を訪れるマスコミは相変わらずいました。それこそ社員の下(命令)で現場にやって来ている方も多いので、八つ当たり気味に報道批判は始めませんが、いい気分でないことは確かです。

 それよりもマスコミ以外も、充分醜悪でした。

 報道でも何でもない人間(雰囲気で分かります)が、大きなカメラを持って立ち止まりずっと献花台の写真や、手を合わせてる人の写真を撮っている。雑談しながら携帯カメラで撮っていく人間がかなりいました。

 新しい観光スポットだと思ってるんでしょうか。

 怒りを禁じ得ません。

 マスコミは秋葉原の服喪という画を取りに、こぞってやってきてます、今度の土日はひどいことになるでしょう。そこには「カメラを構える他人事のようなオタク達」という画を取りに来る人間が必ずいるでしょう。

 事件を忘れないためにも、今の秋葉原を写真に納めておくというのも、事件を風化させないために大切なことです。ですが、その気持ちは写真には写らず「イベントのようにしかみれないオタク達」という画にされてしまいます。

 今回の事件は(繰り返しで恐縮ですが)、自称弱者が、八つ当たりのために弱者を襲った卑劣な犯行です。

 同じことを報道という名でマスコミがメディアの力でオタクをさらしあげて、 我々はそのマスコミ批判をしているくせに、遺族に無遠慮なことをやっているのではないでしょうか

故人の遺族や、被害者の方ならともかく、赤の他人が、追悼にふさわしくない行動を、オリジナルの弔いであると言っても、それは遺族や被害者感情を逆なでするだけです。

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肥大化した自己のはけ口

 最近、肥大化する自己意識というテーマを研究しています。

 私は、雷句誠さんの立場を支持しますが、同時にマンガ家側の意識改革も必要だと考えています。

 モンスターペアレンツという言葉を最近よく聞きます。教師をやっている友人からは、いかに非常識な親がいるかをよく聞かされます。

 作家である側もモンスターと化してはいませんか?

 モンスターマンガ家、モンスター作家などと蔭で呼ばれているかもしれません。 知ってる話で有名なのが、当時人気最高潮(から落ち気味)の某作家弁当事件。

 担当は作家宅に伺う度に高級料亭の弁当を持参するというルールが出来上がっていたらしく、これを「食事の手配ができないから忙しい」からと思った人間が、ほかほか弁当を買って持って行ったら激怒した。という話です。

 人気のある作家に大してなので尾ひれの付いた話と思ってますが、さもありなんと思わせるぐらい日常茶飯事です。約束を守らない、嘘をつく、責任転嫁をする、逃げる。といった失格人間の作家は山のように知ってるので(というか、一部の善人作家とよばれる人以外は、ほぼ全員大なり小なり該当しています)、モンスター化してる自覚もないのもどうかと思うのです。軽微なところは打合せ時のお使いに始まり、果ては「アイデアのでないのはお前が気に入らないせいだ!」とか怒鳴られる編集氏もたまったものじゃないでしょう。

 作家は「自分は必要とされている」というガラスのプライドで土台を支えているので、必要とされている証は、あればあるほど自信につながりますので、何とも言えない部分もあります。

 一方で、雷句氏や松永氏、新條氏のの語られる編集者氏には「作家の生殺与奪の権利を持つ」という会社の威光を自分の力と勘違いしたモンスター編集者の姿が見えます。 実際にそういう会社の権威とかをすぐに持ち出す人間も知ってるので、被害妄想が生み出した人物像とは私には思えません。

 双方とも、客観視を失っていては、歩み寄りは望めないのではないでしょうか。

 秋葉原で事件を起こした卑怯な男も、通り魔事件や一般犯罪に至るまで、あらゆる事件の根底には、肥大化した自己から自分を抑圧した物に対する腹いせや、自分の正当化があるように思えます。

 モンスター化している自分を見つめる能力が育たない限り、あつれきは永久に解消されないのではないのでしょうか。

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秋葉原の事件とモラルハザード

 マスコミ報道を見て思うのですが、

 死者の追悼の後には、おもしろおかしく視聴者読者の興味を引く報道という名の推測をばらまきます

<事件発生><事件報道><推測報道>~新しい事件にスイッチ。を繰り返しています。

 本当に事件を考えたいなら、犯人が冷静になってから、パニックから醒めた後のほうが事件は明確さを持ちますが、その時は推測や憶測が撒き散らかされた後なのです。

 ひどい言葉なのを承知で使います。

 視聴率(部数)乞食

 秋葉原は視聴率をあさる場になりました。関連 桃井はるこさんのブログ

 事件の客観性を欠き、一点の手がかりを全体であるように見せかけ、事件事故を誇張してニュースに仕立て上げる。それをモラルハザードと言わずになんと呼ぶのでしょうか。

 犯人はオタクだった、ナイフマニアだ、エリートコースが脱落した、格差社会の被害者だ、視聴者(読者)が望む真実に対し、よりもっともらしいことをこじつけたもの勝ちであり、それが真実であるかはどうでもいいのです

 それでいて、犯人が手がけたであろうトヨタ車のことはおくびにも出さない。仮に事件の根源がトヨタの合理化にあったのなら、即座にこのニュースから手を引くか、別の要因捜しに必死になることでしょう。

 どんな理由があろうと、自称社会的弱者が、さらに弱者(交通弱者、武器を持たぬ者)を殺傷したことは明白です。

 その原因が、もしテレビや雑誌で見た秋葉原報道であるならどうでしょうか、それがどんなに真実に近くても、報道が無かったことにすれば、モラル以前の問題だと思います。

 もう一つ

 予想通り歩行者天国の中止が検討されています。

 頼むから、ぼくらの歩行者天国を守れ などと馬鹿げたことは言い出さないで欲しい

 警察が恐れているのは、TVを見た模倣犯の発生であると考えますし、ましてや人が死んだ現場やその近くでへらへら笑って、いつものアキバを謳歌することが、死者への追悼などと言う、たわけた言葉は聞きたくもありません。

 私は中止を全面的に支持します。 ただ、無くさないで欲しい。それだけです。

 幼稚な警察批判を始める前に、まずは警察警備のことをよく考えて欲しいと思います。正直なところ、「あんな凄惨な事件後でも女装男がアニメダンスしているような街は守りたくない」と言われれば、ぐうの音も出ません。

 自分だけは特別という、モラルの希薄さが横行するようなら、そこに守るべき街の価値は無いと思います。

 

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死を共通のものと思って欲しい

 秋葉原の事件には胸が痛みます。

 事件に関しては、私のような者が知ったかぶりをして語れるようなレベルではありません。ある人間の生い立ち、環境からゆがみが生じて、日曜日の待ちを楽しみに来た人間が傷つけられ、苦しみと共に唐突に人生を絶たれました。

 私の知人誰もが自分も巻き込まれていたかもしれない。という話をしています。私も同様です。

 もし、あの現場にいたら。

 震えを押さえて勇敢にたちむかったでしょうか?

 格闘技経験者が、ナイフをたたき落とし、即座に押さえつける奇蹟は起きませんでした。

 老人や女性や、逃げ遅れたと思う人達が次々に、車にはねられ、ナイフを突き刺されました。

 私には、「死んでいたのは自分や、友人であったかもしれない」という気持ちを持ち、犠牲者を追悼することしかできません。

 趣味は尊重するのが私の信条ですが、もはやナイフに対する理解はなくなりました。特に対人ナイフと呼んでも差し支えないもの、堅さ、重さ、鋭利さをもち短時間に何人も殺傷したナイフを販売した業者、許した法を強く憎みます。

 今日明日でなくても、いつでもかまわないので、現場に行ったときにには手を合わせて、冥福を祈って欲しいと思います。 その無念さを忘れないことが大事であると考えます。

 そして、果敢に立ち向かった警官達に感謝を。

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雷句・シンドローム

 新條まゆさんのところも・・・・

さて、いよいよ業務が動き始める週明けです。

 雷句氏の告発が週末にあったわけです。 今週、物事は沈静化するかもしれませんが、巨大地震ぐらいのパニックに襲われる可能性もあると見ています。

 ひとつは、原稿料問題。

 第一線級の作家が原稿料を開かしたので、相対的に自分は「上に見られているか」「下に見られているか」が明白になります。新人~中堅はさておき、雑誌の看板作家クラスは穏やかではいられません。雷句氏や松永氏が危惧してるのは、「アニメ化されてもこの程度です」と判断基準にされてしまうことでしょう。新人なみの原稿料のまま据え置かれている作家なら、勇気を出して値上げ交渉に臨むかもしれませんが、雑誌予算は有限です。 部数落ち込みで値上げ交渉されてもない袖は振れません。 だからといって貢献が評価されないでは、極端なモチベーション低下に繋がります。

 竹熊氏の著述によると「バブル期に値上げしなかったのが、現在も雑誌が出続ける要因」であると考察されています。 私も同意見で、最初に予算が決まっている以上「反則技を使ってもやりくりする」のが出版側の責任です。少々ムリを飲ませても、単行本収入があるから、作家は努力に応じたリターンがあるというのが、今までの根底でしたが、出版部数がみるみる落ち込んでいる昨今、そういったトリック技も通用しなくなってきています。

 今後、編集部との関係をすでにこじらせている作家が、大量離脱して行くこともあるかもしれません。

 もう一つは原稿返却問題。

 雷句氏のカラー紛失ですが、私は小学館か印刷所の倉庫に、必ずあるのではないかと考えています

 じゃ、なぜ返さないのか? それこそイヤガラセじゃないのか?

 違います。たぶん高確率で探すのが面倒くさいからだと思います。白黒原稿はある程度まとめて保管できるため捜索も用意ですが、カラー原稿は単品でまとめて収められます。サイズもマチマチなので、「カラーのあるどこか」とか、「他人のカラー原稿と一緒にしちゃった」、などが考えられます。そうなると一人の原稿を探すために全社員総出で探さねばならないので、費用対効果で言えば 無くしたことにして予備費から謝罪金を出すのが一番賢いやり方になります。

 一度ない、といったものを後から出すのもかっこ悪いですが、ずさんな管理で汚したり、折れ曲がっていたりしたら、芸術的価値を損なったことには変わりありません。もう出すに出せなくなります。

 出版社側は、作家の原稿返却要求におびえていると思います。探す手間もあるでしょうが、必ず紛失分が出てきます。 手癖が悪い社員やバイトが持ち出したものもあるでしょうが、他人の原稿と一緒にした物は余所の手に渡るので絶対に出てきません。

 返却や、紛失交渉には莫大な予算がかかります。

 結果、利益がなくなり、雑誌が潰れて、単行本が高くなる、という大地殻変動が起きてしまうのです。

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編集者とマンガ家

 先日のエントリーの続き

  島国大和さんとこ経由で邪宗まんが道という松永豊和氏の作品を知りました。ある意味生血で書いたような内容なので是非、ご一読を。

  編集側の弁明するとすれば、編集者と作家の関係は「友人以上に同士としての繋がり深く、結果を出すためには、ドライに接しなければならない」という何とも矛盾した関係にあります。友人同士ですらささいなことでケンカ別れすることが多いのに、これを業務でやるストレスは尋常ではありません。

 問題の根源点としては、「作家の力が強いほど、編集者は誰でも良い、お使い坊主になり、実績を残せなくなる」という所でしょう。どこまで創作に踏み込んで良いかは流動的ですし、踏み込む度合いを誤れば結果はご覧の通り破滅です。

 作家は基本「誉められて伸びる子」体質である。 と私は考えています。

 故に「ここはダメだ」というととたんに気むずかしくなります。そこで、どうすれば良くなるか一生懸命に考えるのがプロだと思ってます。

 「ここはダメだ」と言ったら、急に編集長に電話をかけてきて、「あの人はボクを分かっていないので担当を変えてください!」と言ってくる例もよく聴きます。クレーム一切拒否型の作家でも、人気があるなら出版側は手放したくないために言うことを聞きますが、これは本人の資質次第なので、アイデアが枯渇したら面倒見て貰うこともなく捨てられるパターンがほとんどです。

 最悪なのは、編集側も分かっていないパターンで「面白くないから書き直せ」が良くなる魔法の言葉だと思ってる人です。

 言うまでもなく、自分の問題点を必死になって考えて、よりよいモノを提案するのが本当のプロの仕事です。しかし、双方で面白いと思うものが違っているなら書き直すだけ駄作になります。ほとんどの場合が面白いと思うことに自信が持てなくなりヒット作に迎合していきます。世間が認めた正解なのですから、文句は言えなくなるという流れです。もしくは、かたくなに自分の殻を閉じるかでしょう。

 編集側に必要なのは、たったひとつのステップ

「このアイデアの話をしようか」

です。どういう意図であったかを聴いて、それを否定することなく、作家が面白いと思ったことの土台を活かすことが、単純にして最短の矯正法だと私は思ってます。マーケッティングに関わる人なら「ノーと言わない企画検討」がどれほど重要か分かっているかと思いますが、出版界はまだまだ旧態然としています。

 全部のアイデアをプラス思考で見直そう! は理想論です。ですが、吟味する時間もないからという理由で、最初からあきらめるのは怠慢であると私は考えます。

 作家側の魅力は賞味期限があります。特にアイデア面では素人同然のところに、急にプロの流れに載せられます。マイナス面を矯正し、プラス面を伸ばすことが必要なのです。ここにプラス、マイナスの分からない人間が、編集者側でやってくることが、悲劇のはじまりとも言えるのではないでしょうか。

うそ誉めせずに的確に付いてくる編集者がいれば理想的なのですが。

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雷句誠さんの告発

まずはこちらを
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html

どんどん仕事をしなくなる編集者さんとか、
最初から仕事しない編集者さんとか、
いろいろ知ってますが、最初っから怒らせる編集者というのは論外です。

 今現在も「仕事」してるマンガ家は絶対に言い出せないことなので、雷句さんの行動には、日本中のマンガ家が注目していることかと思います。

 ですが、社側で綱紀粛正しようにも、業務上落ち度になるとは思えないのです。

 マンガ家氏達もまた始末に負えないほど気むずかしいので、最初に愛想を尽かした編集者が後続を適当にあしらうように教育して、双方不満の増幅がこのような結果になったのではないでしょうか。

 ここで提案したいのが、最近一部で行われている、学校の先生採点みたいに、直接社の幹部に「仕事として、つきあえるか否か」のパートナーシップレポートを提出できるようにすればいいと思うのです。どんなに担当に文句を言っても、その上には絶対報告しません。民間企業では、一消費者の声を社長室に届ける制度を設けているぐらいですから、直接社員のあり方を問うたほうが早いと思います。費用はアンケートを直接ダイレクトメールか、メール配信なので取っても安上がりです。数日中に簡単にできることです。

 気持ちよく仕事ができて、作品が面白くなれば社にとっても利益です。こういう制度を全作家が望んでいるのではないでしょうか。

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こわれかけたTV(ティビー)

 アナログ波停止後の混乱としては、廃棄問題があると思います。

 通常廃棄で2,835円ほどかかります。これをケチってどうなるかというと、データが残ってる物は記録情報を抜かれたり、金目になりそうな部品を外されたり、使えそうな物は北朝鮮などに販売されることになるそうです。(某回収業者氏による)

 比較的新しいものはデジタルチューナーとセットでリサイクルされるでしょうが、何年も家庭で頑張ってきたものは、すべからく捨てられる運命になりそうです。

 ゴミ処理問題で頭を抱えている自治体としても問題でしょうし、無知につけ込んだ"無料回収業者"が何するかも分かったものではありません。

 2011年 アナログテレビが壊滅した後はどうなるのでしょう。

 もしかしたら、ゲームブームがまたやってくるのかもしれません

 仮にデジタル機に買い換えた後でも映像再生装置と健在なら、DVD等の映像ディスクやゲームの再生機として余生を送ることも考えられます。

 このまま、アナログ停波、コピー制限継続なんてことになれば、とっととテレビに見切りを付けて「古くなったテレビでゲームをしよう!」と持ちかけた方が良いのかもしれません。テレビ局が壊滅したら後はレンタル屋と配信業が取って代わるだけなのかも。

 ともあれ、捨てられたテレビでどこかの国の業者が大もうけをするだけなんて、バカらしい限りです。

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JASRAC立ち入り調査!…ん?

 JASRACに公正取引委員会の立ち入り検査が入りました。

 一見、利権の巣窟に操作のメスが入ったかのように見えますが(事実その通りなのですが)今回の立ち入り検査は 「JASRACの放送し放題1.5%パック」が便利すぎて余所の管理曲が使われないじゃないかー! という訴えのもの。

 これは放送局としては、ほぼ何でもかけられるお札みたいなもので、これが解体された後に”申請がメンドクサイから楽曲は選択”なんてことになったら、あんまり良いことのはじまりではないのです。

 JASRAC自体の問題点~収集のみで分配が充分に行われない~是正がきちんと行われるための第一歩なら大歓迎。

 しかし、結果不便になっただけというのは勘弁して欲しいものです。

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愚者の鈍策

アナログ波には常時終了テロップを流すことに。

http://www.asahi.com/culture/update/0417/TKY200804170285.html

 国民的問題であるアナログ停波が勝手に決められた上に、既存のアナログユーザーには圧迫をかけ続けると言ったところです。例えば月4万円の年金受給者が、買い換えられるとでも思ってるのでしょうか?

 アニメ好きとしても手痛い問題で、以前「カードキャプターさくら」のBS時代の放送時に、隅っこに小さくBSのロゴが入っただけでも大激怒なんてこともありました。

 今後の予想としては「TVで番組供給」の時代は終わるのかもしれません。もはや定時に支配されるTVから、本格的にネット供給へシフトすることが考えられます。

 この移行も「タダ」であることが前提なので、課金またはスキップ不可能のCMが入ればより一層の「見ない習慣」に拍車がかかることになります。

 今後家電業界は壊滅的な打撃を被る可能性もあります。 デジタル移行が国策として行われない限り、アナログユーザーはただ離れていくのみです。買い換え特需の後には、半身を切り捨てたツケが回ってくるでしょう。

 正直、次の選挙で、アナログ波永久に継続を打ち出したら、そこに投票します。

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オタクと犯罪

 通り魔殺人の犯人がかなりのゲーマーということで、例によってワンパターンのゲーム叩きと、これまたワンパターンのマスコミ批判が行われているみたいです。

 オタクの側にいる人間が、被害者の心情も考えずに、条件反射でマスコミを馬鹿にするのもどうでしょう? 自分が被害者や遺族ならどんな些細な理由であってもそれは許したくはありません

 結局は他人の死をゲーム感覚、目の前にある現象の一つとして認識しない加害者なら、被害者の死というのがいつまで経っても自覚できないまわりの皆も、結局は同じことなのです。

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児童ポルノ規制を規制せよ3

 日本ユニセフ協会コメント

 日本ユニセフ協会の言う、実際の子供たちがポルノ画像に接することはあってはならない。 と言うことには賛同しています。

 しかし「子供」とは何歳までを指すのかが定義されていません。18歳以下の未成年を指すなら中高生以下のセックスもすべて駄目になります。これが明確に小学生未満(疑似描写も含む)ものは規制しましょうというなら、むしろ賛同する側に回ってもかまいません。

 問題点としては 子供ポルノ という大きな括りで引っ捕らえようとしているところで、本来規制すべき児童を対象としたペドフィリアや極端な児童性愛と、普通の恋愛上にあるセックス描写の区別が全く付かない、ロリに見えたら全部駄目という非情に大ざっぱ扱いにあります。

 そも、なんでこんなに問題視されているかというと、日本独特の描写文法である「目が大きい」というのは幼生表現とも近いもので、どこまでが児童かは判定着きにくいもので「分からないから規制」などといういいかげんなことでは困るのです。

 現実として児童性犯罪が大きく取り上げられる度に自主規制が厳しくなっていて、児童を対象にしたセックスを描くことはすでに禁忌に値するわけですそれらの自主規制ルール破りを徹底的に叩くことは、こちら側の責任でもあり、風俗取り締まり側の問題です。

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児童ポルノ規制

 GIGAZINEさんとこが頑張っておられるようなので、

児童ポルノの単純所持禁止にアニメ・マンガ・ゲームは含めるべきか否か?

 単純所持の罰則は、誰でも犯罪者に仕立て上げられる等の主旨的なものはそっち見ていただくとしてこちらは補足的なモノを。

 私の知人がかって、同様に児童ポルノ規制を言い出した人に、先進国では最低の犯罪発生率ではないか、規制は無意味で逆に誘発の可能性がある。と問い詰めたところ、その規制を言い出した女史は、最終的に「児童への性犯罪率が上がろうが知ったことではない。気持ち悪いものは気持ち悪い」(要約)とお答えになったそうです。

 極論の一つかもしれませんが、児ポル規制をしたがる理由の一つかも知れません。

 児童への性被害防止のために児童福祉法の罰則強化を求める。というなら大変スジが通っていることだとおもいます。しかしマンガアニメゲームの規制を言い出すのは、あまりにも単純すぎる根源撲滅の思想ではないでしょうか。根拠がキモいからではお話になりません。

 また一万歩譲って、全規制をかけたとして、それにより「ガス抜き効果がなくなり、海外のように、より直接的な性犯罪が増加した場合、誰が責任をとるのか

 このこともしっかりと考えた上で論議して欲しいものです。先進国では一番封じ込めに成功している日本が、何故より犯罪の多い国に模範をとらねばならないのでしょうか。

 児童福祉法の定義するところの「少年」小学校就学の始期から、満18歳に達するまでの者、彼ら彼女らの性欲処理に何を与えるか もちゃんと論議する必要があるでしょう。

 スポーツで発散などということを言い出すなら、まずは効果的な運動面積の確保が大前提ですよね。

 理想的な人間を育てるために、戒律や規範を重視する思想的な国家という姿がぷんすかと臭…(以下略)

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児童ポルノ規制を規制せよ

 マンガやアニメも含めて児童ポルノを規制云々を言い出すのはかまわないのですが、これって人権の侵害じゃないのでしょうか?

 ヒトが生存のための性欲と不可分であるなら、性欲を分散させるためのマスターベーションは当然の権利だと言えると思うのですよ。それは人間性の一部として認めるべき事です。

 マンガやアニメや音声というのは直接の被害者を出さない上に、文化的技法の熟練が必要であるという理想的なシステムじゃないのでしょうか。

 ここでちょいと面白いデータを見つけました。ICPOによる統計とのことです。公式サイトではありませんが基礎情報として面白いので取り上げてみました。 2000年のデータですが、現在とは大きく環境は変わっていないと思いますので充分比較資料になると考えます。

 10万人当たりの性犯罪(強姦)の発生率データ

  • 英国    16.23件
  • フランス  14.36件
  • イタリア   4.05件
  • ドイツ    9.17件
  • アメリカ   32.05件 
  • カナダ   78.08件 
  • 日本     1.78件
  • ロシア    4.78件

 なんと!2位とも倍の差、先進国の中で圧倒的な低さです。 児童ポルノの単純所持が禁止されていなくてもこの通りです。最悪のカナダは18歳未満のポルノが厳しく規制されているので、規制することには意味が無いという考え方も出来ます。

 性犯罪の少なさは、日本が二次元ポルノ大国であること無縁でしょうか?極端なことを言えばむしろ世界の子供たちや性犯罪被害者を救うために、海外にどんどん送り出して、性犯罪の抑止に使うべきと思うのですよ。世界の犯罪抑制のためにオタクエロを世界に!

 上記のデータの信憑性に関しては改めて一度公的機関でちゃんと調べて、発表するべきかと思います。

 アニメや漫画を規制するべきという意見を発するなら、まずはちゃんとしたデータを出してほしいものです。そのうえで規制しないことで児童に対する性犯罪が増えていくというなら、それは真剣に考えるべきでしょう。

 勝手に他人をエロ妄想して犯罪者予備軍扱いするのは、人権侵害もいいとこです

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amazon騒動

 12日朝、目が覚めたらamazonのウィッシュリスト騒動で大騒ぎになってました。

気がついたら自分もやられてた!

どぎゃーーーーーーす!!

 以前からあった機能なので、amazon側としては寝耳に水なのでしょうが、だれかが使い方を発見したことで、大変な騒動になってしまいました。眠れる爆弾という奴でしょうが、いい迷惑だ!

 ウィッシュ(欲しいもの)リストのあれこれ設定変更して、ほっと安心、一段落と思ったら、設定にかまわず、amazonリンク(偽装も可)を踏むだけで個人情報をで垂れ流すスクリプトまで登場して、恐ろしい限りです。(関連リンク貼ろうかと思いましたが二次三次被害になりそうなので割愛、いまのとこamazonが対策中だとか)

 そもそも欲しいものリストというシステムもよく分からないもので、友達にこっそり欲しいものをプレゼント!みたいなつもりでも、貰いたくない人から贈られたらそりゃぁドン引きすると思うのですが。 

 ましてや勝手に贈っておいて「金払え」なんてこともあるかも。欲しいものリストに入れても、お店で買ってしまったら記録だけ残るのでやってることが無意味です。

 まあ個人情報晒しても怖くない人は、欲しいものリスト公開して誰彼無くおねだりなんて事も出来るのでしょうが。

 民族関係の資料とか、古い番組関係のホントか高いのばっかりだから、誰かポンと買ってくれないかなぁ。ぽわわん

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準児童ポルノ??

アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/11/news097.html

 正直、こんな脳天気なことやってるより先に、実際に被害に遭ってる子供たちに対してやる事があるんじゃないんですか?

 子供とセックスしたがる人間は、無知につけ込んだり、強要したりして、子供たちが誰にも話せない苦しみを抱えるからこそ、それは嫌悪していく必要があります。

 やるべきことはセックスに対し、自分がオトナで相手が未成年なら児童保護法に抵触し、未成年同士でも妊娠などの社会的リスクがあることをちゃんと教えていくべきだと思うのです。

 こんな見当外れの魔女狩りをやってる暇があったら、未成年に手を出すと社会的に抹殺されることを啓蒙するキャンペーンでもやったほうが100万倍ましです。

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真夜中の行列地獄

 はふー、面白半分に行ってきた秋葉原ToHeart2深夜販売から帰宅しました。今回は深夜販売のみの限定スティックポスター配布などという、かわいそうなことをやってしまったので夜中の秋葉で大行列になってました。

 深夜販売もいろいろ知恵を付けてきているようで、いくつかのショップは開始までに事前精算して12時になったらお渡しだけというスタイル。

 私はうっかり予約票を忘れてしまったので、当日販売目当てに行ったのですが、アソビットであっさり事前精算完了。11時ぐらいから前にあるソフマップの行列見ながら並んでいたのですが、ソフマップはどんどんふくれあがるヒトヒト。 どうやらぬくぬくウォーターマットなどのお店独自の特典が功を上げたみたいです。   …が!

 開店前は新堂真弓さんと成瀬未亜さんのイベントっぽいものがあったのですが並んでるヒトには無関係

 開店後はサクサク進むのかと思いきや、29日発売ゲーをいろいろ複数売ったため受け渡しが手間取り牛歩事前精算にもかかわらず最後尾は2時になってもまだあったとか。

 アソビットは1時間並んだおかげか、数分で終わりましたので12:12の京浜東北線最終でさくっと帰れました。

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帰ってきましたウルトラマン

 タイでウルトラマンビジネスを独自に展開していたチャイヨープロですが、その根拠となる契約書が偽造であることが認められたそうです。 参照PDF これにより海外での乱立ウルトラマンも解消することになりそうです。

 ウルトラマンの創世にはいくつもの自伝、評伝などが残されていて、著作権が円谷プロに帰属するのは疑いはないことです。 根拠書類が偽造だったというのは、何とも興味深いところです。

 ウルトラマンエリートやULTRAMAN PROJECTなど、チャイヨー製作のものは終息すると思います。

 チャイヨー・プロダクション WIKI

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ニュースの湧き口

 最近よく目にするのですが、どうもニュースサイト発のニュースが多い気がします。

 本来は取材されたニュースを取り上げるのがニュースだと思うのですが、2ちゃんとかブログとかで荒れる>ニュースサイトが取り上げる>ネット系ニュースサイトが取り上げる>大手ニュースも動くというパターンが頻発してる気がします。

 これもニュースの拾い方の一つだと思いますが"曖昧な情報が拡大していく"現象が起こってるのではないでしょうか。

「こんなことがあったらしいよ」

「へー」

ってのは個人の範囲ならタダの感想ですが、これが大きな伝播能力をもち、あまつさえ「配信」されるニュースとでは、情報の重さのポリシーは違って当たり前だと思います。

 最近だと日豪の捕鯨問題とその罵倒合戦。個人ニュースで取り上げるレベルのモノを焚きつけているのは明らかにメディアです。なにがしか責任を感じているのでしょうか?

 捕鯨問題に関して一言言いたいなら、ちゃんと捕鯨の歴史を知ってから書くべきだと思います。同時にほ乳類が殺されることすなわち感情の動態や痛みの発生という視点も決しておろそかにしてはならないと思います。"日本の文化だから当たり前"なんて無節操に言うのはまさに天につば吐く行為ではないでしょうか。

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衆愚的なもの

 以前、明治の新聞事情を調べたことがありました。 それはいかに新聞が大衆を煽ってきたかの歴史でもありました。その時代の民衆がどう判断し、何を指示したのかも過去を知る重要な手がかりだと思います。

 メディアの使命とは、複雑なことをわかりやすく伝えることにあると考えています。その過程で「わかりやすい物語」に置き換えるという手段がよく使われます。

 最近だとボクシングの亀田親子。「失われつつある親子の力で世界チャンピオンになる」というストーリーに熱狂させたかと思えば、今度は「無礼な新人に実力を見せつけた内藤」というストーリーに置き換えられています。亀田物語はスポ根もの、内藤物語は我慢して我慢して最後に一太刀浴びせる健さんもののストーリーだと言えるでしょう。

 ストーリー化される怖さというのをどこかで知っておかねば、間違った制裁が行われます。「果たしてその物語の要約は正しいのか?」という検証は常に必要だと思うのでした。

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