コーランに手を出すな

 コーラン引用でイスラム社会から非難

 こっち側から見れば、海賊版に対してのクレームなので盗っ人猛々しいと思うのですが、アチラから見れば日本人の侮辱が大いなる神(アッラーフ)の意思の元に白日の下に晒された。これはすべて大いなる神の思し召しである。ってことになります。 これこそが文化の差というべきことがらです。

 ともかく日本人はイスラム文化に対して無知すぎることも、大いなる反省点でしょう。

 一つの要因としては聖典であるコーラン(クルアーン)がアラビア語以外の翻訳を禁じていたためアラビア語圏以外では、その本質がなかなか理解されないためだと思われます。

 コーラン(クルアーン)はアラビア語による詠唱によって完成されるものとも言われているので、日本語の歌を外国語に翻訳してもその性質が完璧に伝わらないものと思えばてっとり早いかもしれません詠唱を聴いてこれを美しいと思えるなら、イスラム社会のよき理解者になれる素質があります。

 信仰の対象は大いなる唯一絶対の神(アッラーフ)。絵に描くことさえもはばかられる、(まさしく)神々しい存在なので(偶像崇拝の禁止)ビジュアル化したり、キャラクターのネタにしようなどもってのほかというか、本当に殺されますなぜなら侮辱するものを徹底的に懲らしめることを明言しているからです。

 イスラーム教は相互扶助を中心にした穏やかな面と、戦いには徹底的に完遂する激しい面があるので、穏健なものを期待してはいけません。こと教義には、すべてのことがらは唯一にして絶対の神(アッラーフ)はちゃんと記録しているので、よき信奉者には2倍の祝福が与えられると言われています。

 信仰においては、自分の都合の良いことだけを願う信者と、現世利益をほいほい与えるような都合の良い神を徹底的に非難しているので、日本人の生ぬるい感覚ではおおよそ理解できないものと思って下さい。

 その絶対的な神からの言葉を授かった預言者(神の言葉を授かった者、未来予知能力者の事じゃありません)マホメット(この御方も偶像化絶対禁止)の言葉をまとめた聖典がコーラン(クルアーン)なので、これを悪者が読んでましたというのは、とうてい納得しかねることなのです。

 三大宗教、キリスト教、イスラム教、仏教などと言われていて、戒律に対し無知すぎる人間が、"なんかすごそうだから"という理由で、ターム(用語)、ネタとして引っ張ってくることをよく見ますが、ことイスラム教に関してはその本気度が桁外れなので、うかつな気分では絶対に手を出さないほうが良いと明言しておきます。

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叩かれる側の責任

 殺傷事件の被害者宅から殺人事件を扱った漫画がみつかり、例によって「マンガの影響」「マンガは悪くない」の反応が出てきます。

 少々古い話ですが子供から 

「なんで人をころしちゃいけないの?」

 と質問された親の話がありました。命題としては様々な回答がありますが、私なら即答です。

「1回きりしかない人生が台無しになるから」

 人間は大事な物を無くしてしまっただけでも、強く悲しむのに、ましてやそれが家族だったり、友達だったりしたら、もっと悲しみます。

 会ったことのない人でもその作品とか人柄に触れていたらやっぱり悲しみます。殺す側、殺される側その家族、周辺の人間において、「殺人は納得できる理由ではない」というのが重要なのです。

 さて、翻ってこちらの問題を考えてみましょう。「殺人」というテーマは架空のキャラクターであっても一生一回のみです(一応)。重要な要因であるためは「殺人」を扱う内容は慎重な取り扱いが必要です。

 殺人を犯す未成年に共通するのは「人を殺しても良い理由を発見したことにある」と考えています。

 社会に出れば、バイト一人が休んだだけでも負担が大きくなったりして、いるべき人がいない損失を否が応でも知ることになります。しかし、まだ社会感覚が身についていない人間はそのリスクが理解できていません。そこに「正義なら殺して良い」「殺人によって特別な存在になれる」「「ナタもってほいほい殺人」とかの情報を与えていたら、「直接殺人を示唆しているのではないが、殺人者になる栄養を与えている」ことにはならないでしょうか。「ロストする側のこと」も重きを置くべきでしょう。

 児童ポルノもそうなのですが、「何故叩かれるのか」の理由をもっとこちら側でも考える必要があるのです。未成年者にどばどばと売りつけておいて、罪の部分は知らぬ存ぜぬ「だって関連性が証明されておりません」では厚顔無恥というものではないのでしょうか。

ものを送り出す側は

その内容に責任を持つべき

 言いたいのはこれだけです。「無くせ」ではなく、ちゃんと考えて販売を考えなければ永久に叩かれて、挙げ句に法で規制されるという結果になると思うのです。

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