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「風たちぬ」(ネタバレ)

 芸術とは、個人の感性によって具現化されたものである。

 宮崎監督の意思と技術を持って、イマジネーションを具現化しているのだから、「これが正解」だと言われればその通りなので、反論は出来ない。

 ここから先は、「勘違いを根拠にしているかも知れないが、いかなる感想を持つこともそれは個人の自由である」という原則で書かせていただきたい。

 主役声優に関しては,最後まで慣れないどころか、話をぶちこわしにしている感がある。
声質にこだわって、感情表現を犠牲にするというのは、あきらかにベクトルがずれている。

 「インテリは甲高い声なんだ」

 声優決定過程がTVで放送されたが、これは周囲の危機感の表れだと思う。「納得ずくでキャスティングされた」ことをあらかじめ言っておく必要があったと考えたのでは無いだろうか。

 甲高い声云々は、人間の知能とはまったく無関係の思い込みに過ぎない。
その思い込みのみでねじ曲げている。 「いかにも感情を出しています」という声が嫌いならそれこそ全部字幕にしてしまえばいいのにとすら思ってしまう。

 役者は、その能力のすべてを使い「他人の意義」を伝えようとする。
その人生をかけた精神力に対して「そんな声は嫌いだから声質さえ合っていれば素人でも良い」というのは、かなり失礼な印象を持つ。

 結果、ファンタジー映画にしてしまったことにも疑問が残る。
堀辰雄の「風立ちぬ」は当時は死病であった結核の娘との恋物語である。
 この映画に死病も持つという、葛藤がどこにあるのだろうか?
しかも意味も無く零戦開発の話がくっついている。
 好きなお寿司とハンバーグを一緒に載せてみましたという感じで、同じ皿に乗せている意味が分からない。

 方や死者を量産する側で、方や死に行くことを覚悟した対比の物語です。
~というには、飛行妄想が前に出すぎている。

 物語は終始主人公に都合の良いように出来上がっている。
頭も良く、友達に好かれて、喧嘩も出来て、工学的な才能も有り、すぐにトップクラスの仕事を任される。 本人には飛行機を飛ばすという夢があり、美人の彼女を持ってイチャイチャする映画で、ラストでヒロインが死んで「死がそばにある」とか言われても、そんなものは戦時中どこにでもある光景だったのでは無いだろうか。

 特に首をかしげるのは結婚式のシーンで、頭に花飾りをつける風習はどこをモデルにしたものだろうか?

 即席な結婚式で、角隠しなど婚礼衣装を用意出来ないのは分かるが、花飾りというのは稚拙な印象がある。神道式に見えるのを極端に嫌ったのでは無いだろうか。

 この映画を見て泣きましたという感想を持たれる方は是非、他の映画も楽しんでいただきたい。登場人物が死んでさあ泣かせましょうな映画は量産されています。

 総合的な感想としては、自分の夢に固執して、他人の苦しみを共感しない糞野郎の映画に見えました。 ということです。

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