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2011年7月

新鮮さ

 とある編集さんの話。

 作家にとって自分で扱う物はすべて新鮮なんですよ。それがワンパターンでマンネリ極まったものだとしても、その人間を通して発露される事によって新鮮さが生まれてくるんです。

 だから、ネタの重複よりも表現がどうあるべきかにもっと注目するべきなんです。ありがちなネタを恐れずにもっと踏み込んで良いと思うんですね。

 パクリが叩かれることで、明らかに表現は萎縮しているんですよ、「好きだからパクってやろう」という意識が無くなるのはダメですね。 ビジネスになったら盗作は犯罪ですが、
習作においては寛容なんです。 お金が関わっていないところではもっと好き勝手にやっても良いんですよ。

 最終的には「どう自分の表現として会得するか」なんですね。これを意識して無くてプロっぽくかけたって喜んでるヤツはダメ。常に自分ならこう表現する、もっと上手くやってやる!って思ってる人間が必ず成功します

 既存で使える良いネタが、取り合いで限りがあるから、オリジナルでやってるっていのが、自分は良いポジションだと思うんですけどね。

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現代アート騒動

 絵を描く、キャラクターを生み出すと言うことは、神様の行為ともいえるわけです。 そういう創造主がゴロゴロいる八百万の国が日本です。

 二次創作を分祀と考えるなら、一次に帰属する下級的だが、独立するものと考えられます。 なので創意が存在する限りは作者もまた創造主の一員です。

 これを勝手に使ったら、冒涜です。

 「現代アート」に対する不信感はこう言うところから、生まれているのではないでしょうか。

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ネット上にあるもの

 ネット上の画像をコラージュして現代アートだとか何だとか。
日本の技術をパクった中国高速鉄道がさらに盗まれたような物で、私としてはどっちもどっちという感じです。

 二次創作された物は作者にその権限を持つか? が根源的な問題であれば、創意の加算によってそれは保護されるべきだと思います。
 なのでネット上の二次創作を「こいつらも権利無視だから」と言って勝手に使うのは言語道断。
 ついでに言えばその言語道断は、原著作者の意図を無視して、改変している二次創作の側にも適用されると思います。

 必死になってオリジナルに拘る人もいるわけで、そういう人達を横目に知名度だけイタダキで有名になることは、果たして良い事なのか?
 他人の権利に手を突っ込んでいることを忘れると、そのうちまとめて問題が降りかかってくるのでは無いかと思います。

 PIXVは創作の場としては有効なのですが、それ故に安易の掃きだめになっているのもまた事実。 悪貨が良貨を駆逐したらそこでおしまいなのです。

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古典とオタク

オタク業界の未来話で、一つ出た提案が「教育産業」にするというアイデア。

 つまりマンガやら、プラモ作りやら、アニメの視聴までスクールを作ってしまおうというアイデア。
 「講師」という就職口を確保しつつ、「より濃いオタク化」というのを文化事業として、やってしまおうというわけである。

 今あるその手の専門学校を出たところで、想像産業は仕事が無いか、安いのが現実。 だが全国的な規模で「想像の実体験」を行うことで、関心による市場喚起がはかれ、仕事を増えるということです。

 実際これをやると父兄の反対は目に見えているのですが、古典文学と近代娯楽においては、その本質には大差が無いとも言われています。

 つまり、古典はその時代において大衆的な物であり、今、テレビでアニメ見てるのと同じ。ならば「現代事象(オタク)を生で研究」することが、リアルタイムの拡大に繋がるのでは無いかという事なのですね。 これらは消費、経済行動として見逃されてきた分野ではないのかと。

 「近現代文化史」の研究に本腰を入れることが、全体の創世にも繋がるのでは無いかと思うのです。

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盗作問題は採用側の責任

 某Pの話。

 新人賞取ったのが盗作だったという一件があったじゃ無いですか、あれは100%主催側の責任です。 
 盗作する新人なんてゴロゴロいるんだし、1番良くないのはオリジナルで一生懸命描いているのに、何かに似ているから と言う理由で落とされること。 萌えキャラでツンデレやメイド出したら盗作と言われたら、業界壊滅ですよ。 特に新人なんてロクに見てないんだから、すげぇの書くなと思ったら、たまたま見たヒッチコックのパクリだったなんてしょっちゅうなんですよ。

 たとえばワインに毒を入れるトリック。コルクから注射器使うのは3回見て、痕跡残さない浸透圧も2回見た。 どっちもアプローチが違うからたぶんワイン見て、同時多発的に思いついただろうってことはすぐ分かる。 トリックは重要だけど似てるからという理由で落とされるのはおかしいでしょう。

 どうするか? 超簡単ですよ。

 賞を取るレベルになったら、本人に打診して盗作で無いか、書面で確約させれば良いんです。 賞金を出す以上ちゃんとビジネスとして扱うべきなんです。 もし盗作なら賠償金にびびって絶対辞退しますよ。 もし通ってばれたら、被害者ヅラしてそいつ訴えりゃすむんですから。

 どういう着想で、どういう風なコンセプトかちゃんと言える人間は絶対に伸びます。 「これは盗作でした」って他人の評価聴かない限りズル得の世界っておかしいでしょ。 
出版側のほうが幼稚すぎるんです

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コクリコ坂から(ちょいネタバレ)

 派手さは無いですが出来の良い青春映画でした。
ねつ造された素敵人間のあつまる昭和史がむずがゆいけど。

 シナリオは映画の基本なので、シナリオの出来が良いから映画も    ・・と書こうと思ったのですが、主人公達が肝心の問題に対して、何もしていない(別の事件は結果的な解決)ので、これは良いシナリオと呼べるのかどうか疑問。 

 描いてもいない完成度を語ってもしょうが無いのですが。

 10代少女の色気のある映画なので、気に入るヒトはツボにはまると思います。

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「面白い」と「売れる」の秘密

 某Pの言葉。

「面白い」と「売れる」はすべて過去形なんですよ。 まずは新人が持ってる「面白いものを書けば売れる」や「売れるように作る」という誤解をたたき壊さなければならない。 ここを勘違いする馬鹿Pが多いから、結果重視の企画しか通らなくなる。

 大事なのは「今面白いか」「今買いに行きたいか」ってこと、それは自分で判断するしかないんです。

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アニメーターの未来

 某プロデューサー氏の話。

 日本にはプロのアニメーターが少ないんですよ。 アニメ絵描きさんと女房子供養える程度に稼げる人は沢山いるんですけどね。

 意見が分かれるとは思うけど、その人だけのキャラクター。その人だけの動きってほとんどいないでしょう。 CMとかみんなの歌とかでは時々オンリーワンがいる程度。

 アニメーターもね、「絵が動かせる」ところから始まって、どうビジネスにしていくかを考えないとダメなんですよ。 残念ながら「絵を描いてお給料もらえる」程度の認識だから、みんな堕落してる。 アニメーターの給料が安いんじゃなくて、安い仕事しかしてないんですよ。

 理想を言えば、短編アニメが手軽に作れて、新人アニメーターが就業時間以外にそういった時間をもてること。 その環境を作るのがプロの会社だと思うんですけどね。 埋没させないプロ作るなんて絶対やんないでしょ。 みんながこの人に頼みたいっていうスターアニメーターなんて、いらない欲しくない。  技術があって仕事してくれるヒトが欲しい人材。 それは労奴でしかない。 でも企画側が欲しいのは、この人がアニメーターやってますなの。  こんなこというと労働者に変な知識持たせるなって嫌われちゃう。

 「誰某の絵をみんなで描く」のはそのうちCGに取って代わられますよ。これは断言します。 動画割りが機械化されて海外への発注は無くなる。 フルCGじゃなくて手書きサポートCGが日本の未来であるのは明白なんですよ。

 だから、アニメーターに自分で価値を持つ意識を持たせないと、大量の人材廃棄物が生まれるだけなんです。

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批評術

 アメリカ演劇界のリーディングに対する、批評術というのを聴いてきたので紹介。

 まず批評においては 過去現在未来が基本である

 過去とは、目の前の内容に対し何を感じたかである。○○の友情を感じた。誰それの嫉妬を感じた。その程度でかまわない。 そういう単純な言葉の中に、作者が思いもよらない一面が潜んでいるのだ。

 現在とは、一番気になったもの。つまり今一番心に残っているものを話してみよう。登場人物の仕草でも、ちょっとしたギャグでも、今でも強く印象に残っている事柄を語るだけで良い。作者にとって、それこそが目指すべき才能なのである。

 最後に未来について教えよう。 それは「これから何が必要か」という事だ。物足りない点はどこにあったのか。どうすれば登場人物がボンヤリとせずにフォーカスが合うのか考えて話してみよう。 作者にとって一番の贈り物になるだろう。

 もし、君が作品の悪さを指摘して、作者の頭の悪さを思い知らせようと思っているなら、作者もまた、君の頭の悪さに憤慨して、一刻も早く関係を絶ちたがっていることを決して忘れてはならない。

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やがて来るとき

 訃報が続きます。
残念ですが、仕方が無いことで先に生まれた者は先に死にます。

 自分も父親の死んだ年齢に合わせるならあと20年。もっと早いかもしれないし、もっと長いかもしれません。

 そろそろ自分が死ぬときの話がリアルになってきました。家にある物はすべて処分されてしまうだろうし、親戚筋にも迷惑をかけることも考える必要があります。 結局は、死んだらおしまいじゃないんですね。 その後の事を知れば知るほど、人生を本気で考えなきゃ行けない。
20代30代はまだ、リアルじゃ無いけど、40過ぎると慶事と弔事が多くなるので、自分はどうする、どうなるかになって行きます。

 ある知人が一人で死にました。 それは死んでからずいぶん経ってから分かりました。 何ヶ月も経って知れ渡り、皆がその死を惜しみました。 

 今でも声を行動を覚えています。 その総てが忘れ去られたときに彼は本当に死ぬんでしょう。 ですが、それは思いの外にしつこく長く、遠い先のような気がします。

 だからこそ、死んだ後には余計な迷惑かけないよう、さっぱり後始末をしたいものです。

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脳内弁慶

 とある編集さんのお話。

 まあ、いつの時代もそうなんですが脳内弁慶多いっすよね。 自分の書いたものにそれ以上の実力がある。と思い込んでる人。 言い訳が多いからすぐわかる。
 昔は30代過ぎて持ち込みに来る人間に多かったんだけど、最近は10代にも増えて来た。

 ヘタなんですよ。 あきらかにヘタ。なのに、前に受賞した○○だってこんなもんでしょとか言い出す。

 新人なんだからヘタなのは当たり前なんですよ。その中で才能ある物拾ってるんだから、完璧じゃないんですよ。 なのにそのヘタ部分だけ見て批評してる。 ヘタよりマシという発想なんだから、面白いはずも無い。

 君が脳内でその作家に勝ったところで、まるで意味が無いと言ってやりたいわけです。

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