盗作と共有
最近仕事上、「あ、これは○○をパクっている!」と自分で気が付くことがあります。
本人もすっかり忘れているので、わざとではありませんが、すぐに引っ込めます。
パクったと分かっていても、使う場合があります。
一つは史実系のもの。 新撰組なんかはその代表例で、ほとんどの人間が史実に当たらずに司馬遼太郎の燃えよ剣などから、平然とパクって歴史家気取りをしているのは困ったものです。
もう一つは、何度も使い回されて「共有化されている」と思っているもの。
たとえばメイドが「お帰りなさいご主人様」と言っても、○○のパクリとは言われないと思いますが、私の知る限りでは、外部への挨拶として使い始めたのは、名古屋のコンセプト喫茶。
ビジネスとして、使うのなら発祥点をはっきりさせるべきですが、一般化されすぎているので、そんなこと気にすることはいないですし、小説にさかのぼれば100年以上前に、この言葉は出てきます。
パクりは、ある意味なれ合いであると思います。
これを○○はパクったと言い始めると、自分にも降りかかってくるのも事実。
盗作を糾弾していたら、次のステップは自分が糾弾されることになります。
どこまでがパクりか厳格にする必要は無いと思うのですが、いつでもパクリ呼ばわりされる可能性は、自覚しておいたほうが良いのでは思うのでした。
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