表現の自由と萎縮
私は、昔はかなり過激なライターでした。
で、今はどう無かったというと、過激なライターとしての仕事はゼロになりました。おかげさまで築き上げた人間関係でちゃんと食えていますが、乱暴者ライターとしては死に体です。
某誌で書かせて貰ったころもお終いのほうは「過激な描写は避けてくれ」という注文が来ました。過激と言っても文字だけで、どこそこの作家の劣化はひどいとか、この商品の無神経さは我慢ならないとか文字で書いてるだけです。 商品イメージはすこぶる傷つけますが。
作品についてクレームを受けるのは編集者、プロデューサーであり、それが社員だと出世に響きますし、外注の場合は首を切られるわけです。
ボーダーラインが分からない以上は、かなり手加減をしなければならないので、結果的にかなりぬるい文章になってしまいました。それはそういうクライアントからの依頼なので仕方がありません。自分が面白いと思ったことを書けなくなったことは否めません。
実は、このブログも「社交的」に書いてる方ですが、時々敵を作ったりしてます。おとなしく、静かにするのが最善であれば、そういう風に行動するのは当然でしょう。
ただでさえ保守的な企画しか通らない昨今、萎縮要素を作って、さらにその中で面白いものを描こうという気になるでしょうか。
都の責任を言うよりも、まずは、編集者やプロデューサー側の気運を高める方が大事なのではないかと思うのです。
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