評価するのはすごいこと
昔私が通っていた某スタジオでの話。チーフがロック好きだったので、日がな一日ロックのレコードがかかっていました。
そのうちのたまにかかる一枚のアルバムが結構好きで、ある日「何が聴きたいか?」と言われ あの~♪の曲 と言ったら笑われました。
「あれは○○のコピーバンドだよ」 コピーと言うより、オーストラリア(だっけ?)のパクリバンドでした。チーフが似たような傾向で音楽やっていたので、懐かしがって聴いていただけで、英語の歌詞やメロディなど、影響が出すぎてて、ロックファンからは見向きもされてないシロモノでした。私が良いと思ったのもコピーした部分なので潜在的なオリジナリティを評価したとは言えません。
素人評価の恐ろしさを知った一件です。
例えば全アニメで何か一本と言われたら速攻「カリオストロの城」と答えますが、ここ1.2年でなにか一本と言われると、急に硬直してあうあうな状態になってしまいます。
ちゃんと毎週欠かさず見てるのは京アニ作品ぐらいですが、これも不満が無いわけでもないし、何より実績から評価が固まっているので、誰でも誉めることは可能です。
それ以外の「自分だけ面白いと思った一本」とかいう縛りだと、もうギブ。観ている作品はいくつかありますが、全体の中で一本を推薦する能力は欠けてしまっているわけです。
個人的には「カイジ」を爆誉めしたいところですが、あれは原作の面白さありきなので「技術的な出来の良さ」ぐらいしか評価軸に上がってこないことになります。平行作品の評価が無いのなら「面白いアニメ」という評価は当たっていますが、その価値の第一は原作者に向けられるべきものでしょう。
無印作品が、引っ張り出されるきっかけになるのはやはり口コミです。
千億のビジネスも、素人の口コミから
とよく言ってますが、分かってる人間が誉めると言うことは、かなりの価値を生む金の卵です。先端にあるのが、何かを自分の意思で評価する日記ブログであると考えています。
無知をさらけ出す覚悟
がある人なら、内容は研磨されて良くなる可能性があります。恥をかきたくないなら他人の評価軸の尻馬に乗ってれば良いだけです。
他人の無知を笑っても、自分の行動は伴っていない。
最近そう思うことがやたらあります。「他人の評価の評価」は中身が薄いと私は思ってます。プラスの部分では薄くても数が集まれば厚い層になりますが、マイナスの評価はほとんど意味が無いと思ってます。マイナス評価でも、最初は自分の言葉で話すからこそ価値があるものと考えています。
他人の悪口の尻馬に乗るのは反論されない安全圏からもの言う行為で、はなはだ卑怯な行為です。
「評価の評価」を自分の意見と混同することは、自分の価値観を失うことであると思うのでした。
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