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2008年7月

モンスター来場者ネタ(タレコミ編)

 某サークルさんのとこに母娘がやって来て

「あなた、この子にこの本売ったでしょ!」

 とそこのサークルの本を差し出しました。

 中身はバキんボキんの、妄想やおい本(某週刊誌モノ)で高校生の娘が買ってしまったんだとか。即売会イベントは対面販売ですから、未成年に売ったのはサークル側の落ち度になります。見た限り未成年に気がつかなかったとはいえ、サークルさんは平謝り。

「そんなことじゃないのよ、

こんなヘタクソなマンガ売らないでちょうだい

これじゃ詐欺でしょ!」

 表紙はガッチリ描いて、中身はアレのパターンの本でした。売り子さんは書き手でもあったので、思い切り罵倒されたショックで同人から足を洗ったそうです。ちなみに「あんたの描いてるカプは違う」と怒鳴られたこともあったそうです。

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ニコニコ1/2

 ニコニコ動画にアクセスしたら、マイページのリストの半分以上が試聴不能になってました(苦笑)。○○○BGMタグのは、新発見の曲が見つかったりで結構重宝してたのですが。

 権利関係をしっかりするのは企業としてあるべき姿なのですが、ここのグラフだとすでにピーク時の半分にまで落っこちてます。(グラフサイトの当選しました広告はインチキなので注意)

 アクセスが落ちたと言うよりも、気軽に試聴できることがどれだけ需要あるかの証明みたいな物だと思います。

 どっか1.2分ぐらいはタグの貼り付けで、引用できるとかやらないですかね。

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モンスター来場者

 モンスター○○が今年の流行語になりそうな勢いです。そこで私の知ってるモンスターネタ。

 コミケ会場で「間違って買ったので返品します」といって本を持ってきた女性。なにやら売り子さんが困ってる様子。どうも別のサークルの本らしい。

「それは違うサークルの本なので」

と売り子さんがいうと

「だったら、あなたが届ければいいじゃない、私素人だからどこで売ってるかも分からないんだから」

 サークルさんとは関係ないけど、ちょいと助け船、「奥付にサークル名書いてありますから、カタログで調べることができますよ」と教えてあげたらぶつぶつ言いながら帰って行きました。

 「返本しないように、最初に自分で確かめる」は同人誌イベントのルールという訳じゃないですが、マナーとして衆知させたいものです。

 私の友人とこで、既刊を持ってきて返品したい という人間がいて、それに応じたらその日売ってない本だった。ということもありました。

 

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スターシップトゥルーパーズ3(ネタバレ)

 ST3 バーホーベン監督の映画『スターシップトゥルーパーズ』の続編です。

 監督は1.2.3作と脚本を担当しているエドワード・ニューマイヤー。ロボコップ第一作では、SF的要素と人間的な苦悩を描いた脚本家として記憶に残るところです。

 さて、ST3。正直言って話が単純すぎて面白くない。悪い怪獣やっつけろのはなしなので、今やってるマクロスFっぽくもあります。司令官がヒットソングの歌手なのでマクロスの影響は強いものと想像されます。致命的なのがマローダー(原作ではパワードスーツに掃討する人型兵器)がかっこよくないとこ。なぜスタジオぬえに発注しないのかと説教たれてやりたいぐらいです。デザイン違うだけで日本のソフト発売は桁違いに売れたと思うのに。

 この映画の真価は、徹頭徹尾皮肉で描いた世界設定にあるのかもしれません。軍国主義、処刑ショー、徹底的なプロパガンダ。この誇張した世界がある意味シャレになってないところが、ST3を微妙な立場にしているのかもしれません。

 マローダーが登場人物の危機に際し、神の如く降臨するというクライマックスは、本来なら「GODの代わりにGUNがやってきた」と苦笑いするところなのに、普通のSFアニメ的に単純な(むしろ幼稚な)ヒーロー降臨にしか見えないので、物語への集中力をぐにゃぐにゃにしてしまいます。

 この物語の意図するところ(逆説的な寓話)を、察することができればかなり面白く観られるのではないでしょうか。

 挿入歌の「今日は死に日和(It's a Good Day to Die)」がなかなかの傑作なので、これを聴きに行くだけでも充分価値があると思います。

 

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ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪

 『宇宙大怪獣ギララ』の続編のようでいて、実際無関係の怪獣パロディ映画。非常に良くできていると思います。

 川崎実監督らしい、パロディとリスペクトが渾然一体となった映画です。国際的な政治情勢が混ざるのは『チームアメリカ』っぽくはあるのですが、あそこまで脚本も思想も洗練はされていない芸人コントのレベルに見えてしまいます(思想的な一貫性が見あたらない場当たりギャグにしか見えない)。ゆるいC調映画と最初から、覚悟して観に行くなら充分楽しめるのではないでしょうか。後にも先にもギララを大スクリーンでみるのはこれっきりかもしれません。

 「我々は東スポだぞ」

 とか、ナイス台詞もあるので、40代ぐらいなら、かなりツボに入るネタも多いかと思います。

 この映画には一つ、許し難いことがあります、それは北海道に、昔からある設定の神社を置いてること。江戸後期以降なら神社仏閣もありますが、江戸期に本土人が簒奪を始めるまでは、蝦夷地は純然たるアイヌ人の土地です。そこに古来からの神社、すなわち大和民族の痕跡がありましたというのは、映画の中においても、やってはいけないことだと私は思うのです。

 こういう根底にあるべき民族観が中途半端なまま、フィクションだから、C調映画のノリで楽しみましょうと言われても、納得はしかねるところです。

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嫁ジェネレイター

18禁ソフトの紹介なので未成年の方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 

 

 俺の嫁ジェネレイターこと、テックアーツ社『3Dカスタム少女』に、昨日からSP2(サービスパック:無償提供)がリリースされ、超なまらすげぇと評判になっていたので、早速入れてみました。新機能は手足を細くしたりとか、等身変更姉妹スライダーとか、キャプチャ機能とか、BGM再生とか、なんだかてんこ盛り。

標準

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 低等身(妹側)

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姉側

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 姉妹スライダーにあわせて、声も変化があるとは・・・けしからん、いろいろけしからん!、この忙しい時期に時間泥棒なのが、一番けしからんですよ。

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音声ドラマの復活

最近ラジオを聴くことが多くなりました(ネトラジ含む)、そこで気になって、児童向けのラジオドラマの歴史をさらっと調べてみました。

 一般的な時間帯は夕方6時台で、昭和30年代の初期から人気が出始めました。「連続放送劇」とよばれていて、報道や、音楽、芸能とは違う「ドラマ」があるところがポイントです。新諸国物語シリーズがヒットしたのが要因と言われています。

 しかし昭和33年の月光仮面の大ヒット、34年頃から皇太子ご成婚によるTV受像器の販売拡大とかで主役をテレビに奪われ、30年代半ばから減少傾向、夕方枠のラジオドラマはTBSの戦国忍法帳(作、佐々木守)で無くなったと言われています。

 ラジオドラマ自体は、無くなったわけではなくTBSのラジオ劇画傑作シリーズなど、単発や短いものはあり、最近でもウルトラQのラジオドラマなどが制作されていました。個人的には映画公開直前にニッポン放送のやったラジオドラマ宇宙戦艦ヤマトとかを覚えています。これの『ヤマトよ永遠に』がなかなかの傑作で、散々盛り上がったところで終わったので、映画館で観てがっかりした記憶もあります。

 音声ドラマの需要が無くなったかというと、案外そうでもなく、カセットブックがもてはやされていた時代もあったり、ドラマCDも販売中です。

 ラジオ(音声)ドラマの欠点は「初めての人には分からない」ということで、耳から入った情報を情景化できないと、なにがなにやらさっぱり分かりません。最初にアニメや漫画がある場合は情景がわかりやすいので、内容に集中できるのでアニメのドラマCDの売れ行きが悪くないのは、そういった要因かと思います。

 この辺の欠点をうまくネットと連動させられれば、オリジナル作品でも、まだまだ開拓の予知のある有望ジャンルではないかと思います。

 実際問題、声優さんは数多くいるにもかかわらず、仕事がないと言う現実もあります。いつでもどこでも聴ける音声ドラマが増えることで、注目度上がる効果もあると思うのですが。

 個人的にすきだった企画が「江ノ島ベイビィ」江ノ電ウンチクをたっぷりと語り始めるキャラが魅力でした。再開しないかなー。

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意欲泥棒

 前の晩はすごくやる気だったのに、翌日になると急にめんどくさくなるのを「意欲泥棒にやられた」と呼んでます。

 同人誌とか、ネット記事の大ネタとか、趣味系のことでは非情に頻繁に泥棒されていて、ちょっと意欲がでたら、すぐ持って行かれるの繰り返しです。まったく、ちくしょう、どろぼうはひどいやつだなぁ。

 で、意欲泥棒対策を考えてみました。

  1. とりあえず、すぐ始める。
  2. やることマップを作って(頭の中でも可)何から始めるか考える。
  3. 無駄とは分かってやることをカコイイと思う。

 時間がないというのもありますが、普段使ってない時間がいくらかあるならそこに、突っ込めばいいことなので、忙しい人間でなければ絶対的理由にはならないのです。

 資料本を集めるとか、机の脇に置くとかから始めても結構有効な気がしてます。

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崖っぷちの…

 ポニョ替え歌ブームなので私も

ぽーにょぽにょぽにょ修羅場中
締め切り近くにやってきた
ぽーにょぽにょぽにょ ふくらんだ
理想と現実 おわらない

ぺーたぺた、かちかち
保存をするまで、倒れるな

にーぎにぎぶんぶん
マウスで肩こり つらいのよ
 
布団で眠ると、心はおどるよ
仮眠から 緊急 パーチパチ PC
お目々は充血 まっかっかの

ぽーにょぽにょぽにょ急かされる
締め切りもうすぐ やってくる
ぽーにょぽにょぽにょ ふくらんだ
理想と現実 妥協点

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ヒットの芽

 英国BBCのトップギアが面白いと、大評判。

 GT-R対新幹線では、日産GT-Rに乗ってJR移動組と日本縦断勝負。

 どっか買わないかなー。

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『ポニョ』評2(超ネタバレ編)

 いろいろ語りたくなるから、これは良い映画です。

 終わってから話が分からず「?」観客にマークがでたという感想は、複数からでてました。(昔、エヴァンゲリオン劇場版(古い方)観に行ったときはそんな感じ)

 私には「キモくても大好き」というシンプルなお話に思えました。

 数割の人は、この作品のクライマックスが、イザナギの黄泉がえり神話であることに気がついたと思います。イザナギが死んでしまった妻イザナミを想い焦がれるあまりに、冥界までいって連れ戻そうとするものの、その途中でおぞましい死体姿を見て、逃げ出してしまった。というストーリーです、類似パターンはギリシャ神話などにもあります。

 『ポニョ』では、金魚がヒト化した「半魚人でも好きでいられるか」、要するに「キモくても愛せるか」というのがクライマックスの決断です。

 美しい姿に囚われ、ウジの湧いたイザナミに恐怖してしまったイザナギは、死者との離別という意味合いを持ち続けています。

 『ポニョ』はというと、一番人外であった「人面魚」姿から接触が始まってるので、主人公宗介がそもそも恐れるべきところは最初から何もない。加えて、魔法をもった、5歳児には、ファミコン・・・もといゲーム機なんか足元に及ばない、最高のおもしろキャラなので「好き」というのは当たり前なのです。

 この試練にもなんにもなってないことを、物語のクライマックス上の試練とするなら、「ポニョが嫌いになる要素」というのを必ず入れるべきなのですが、その辺無きに等しいので、映画の骨格がまるでできていないように思えます。

 この辺の適当さが、よく分からないという評価に繋がるのではないでしょうか。

 

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『崖の上のポニョ』評

 なんとも不思議な映画でした。

 物語はどこかの港町で起こる、人魚姫と少年との物語です。人魚姫といっても『トトロ』のメイみたいなキャラなので、往年の宮崎美少女を知ってる人間は、今回もまたしょんぼりです。

 物語としてはいたってシンプルなものなのですが、なにぶんそこまでにいたる過程が全くないので、何が起こってるのかさえ分からずに、奇妙な生き物を延々見せ続けられます。「説明不足」は、宮崎アニメがある意味そっぽ向かれている原因はでもありますが、見る度に解釈の違う、正解のない問いかけなのかもしれません。

 最後のオチは神話的な要素なので、そこから引き出される要素は、数限りなくあります。「面白かった」とか「つまらなかった」ぐらいしか出てこないのは、少々、思考停止であるのかもしれません。物語のセオリーを無視した謎ばかりの映画なので、明快さを求める観客には不満が多いかも。

 本作の魅力は、未知のアニメ体験でしょう。なるほど描きにくいものをキャラクターにすると言う手法は、初期の実験的なアニメには見られましたが、「写実的と感覚」に立脚する日本のアニメ、いや世界中探してもほとんど見なくなった技法です。
 イマジネーションが絵になって動くことの、すばらしさや、キモさ(笑)が、これでもかとばかりにたたき込まれています。一番楽しいのは、初めて映画館に来るような子供達でしょう。「キモい」「すごい」の中間にある何かが処理しきれずに、「ぽーにょぽにょ♪」と歌っているような気もします。

 大人にとっても、同様の未知の体験でしょう。子供映画として「見なくて良い」というのは早計で、やはりアニメ映画を観る興奮は、子供と大して変わらないような気がします。

 終始疑問であったのが、主人公家族の描き方で、両親を名前で呼び捨てにすると言うのは「トモダチ感覚の仲良し家族」なのか、「家庭が崩壊して、相手を家族ではなく、一個の生命体として見ているのか」理解に苦しみます。

 これが問いとしてあり、結果がラストで明かされれば、文句なしに名作と言えるのですが、この辺無頓着で投げっぱなしです。「どっちかの視点で見れば印象がまるで変わる」という仕掛けなのかもしれませんが、それは映画を楽しむ上で無駄な蛇足のような気もします。

 あと、個人的に思うのは、『ゲド戦記』の宮崎吾郎監督に対する、全力説教映画なのではないかと。 ゲドの戦記の問題点である、いわゆる「オタク的」な、有りものの情報量に圧倒されて、その延長上にしか自己を見いだせないふがいなさに、映画屋としての怒りをぶつけている印象もあります。

 しかし、「実は、謎の人物フジモトは『海底2万リーグ』の乗組員でした」みたいな映画上わからない裏設定ありきでのもの作りも感心しません。『ゲド戦記』が批判されている、途中説明しない不安定さを同様に持っています。

 ともあれ、ポニョはアニメ映画好きなら、大きなスクリーンでぐりゃんぐりゃん動くのをみるべきでしょう。たぶんテレビと見るのとでは、印象が全く違う映画だと思います。

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3分で分かる竹島問題

 竹島関係の報道とかニュースを見てると、日本人もちゃんと理解してるのか、不安になってきたので、3分で分かるまとめで。

■問題の根源

 国家は、その体制を維持するための自国民教育が必要。その過程で事実を歪曲化することがままあり、それは国民思想となり定着する。

■アジアの自国認識

□日本 1900年代、西洋列強の植民地政策に対し、「万国公法に従う」というやり方で、西洋と同じことを開始。侵略と言えば侵略に相違ないと私は思いますが、日本の統治はかなり優秀、帝国的横柄さと同時にルールは遵守してきた。

□中国 かねてより文化の中心である国。その影響力は計り知れない世界のトップランナーである。その豊かさに目を付けた諸外国から散々搾取され続けてきたが、近代化を成し遂げ再び過去の栄光を取り戻しつつある途中。

□韓国 中国と親しくすることで、その影響力を得て平和に暮らしてきた国。近代日本の植民地政策により、簒奪を受けたが、その優秀さを持って威信を回復した国。

■大東亜戦争以降

□日本 連合国GHQの支配下に置かれる。いわゆる自虐史観教育に熱心。戦争に罪悪感を抱かせることは良いことだが、「戦争」に至る経緯がおろそか。 当時、合法的な行為であったことの説明が無いので、先祖が極悪人のように言われる弊害を生む。

□中華人民共和国建国 1949年からが今の中国。共産主義国。 共産主義というのは、貧富を無くし等しく生産に従事して生きていける世界のこと。一見良さそうに思えますが「支配階級」が「労働階級」を搾取する構造はやっぱり同じ。無知な若者が、大人に暴力をふるう<文化大革命>でブルジョアとインテリを粛正(多分拷問と殺害)、こういう都合の悪いことは教えない修正歴史が弊害となる。

□韓国と北朝鮮 日本の朝鮮半島の権益が、敗戦で失われたので、ソ連とアメリカの分断統治で南北に別れる。北朝鮮が38度線を越えて南下したのが朝鮮戦争。 要するに日本が(どんな理由があろうとも)朝鮮統治を始めたのが南北分断の原因なので、日本諸悪論は根深い。

■なんで、日本は嫌われてるのか?

1.中国、韓国は国家に反逆されないようにするガス抜き。同時に日本人は謝罪の体質。「畏(おそ)れ入る」ことで、相手との関係を復帰させてきた封建意識がある。しかし、これは向こうからみれば「悪人が罪を認めた」だけのことで、徹底的に懲らしめない限りは関係は修復しない。

2.マスコミの変更報道 向こうにも国粋主義者はいるので、その過激な行動を民族全体の怒りとして扱っている。これは正でもあるが誤でもある。 朝日新聞がアジア寄りと言われるのは大衆を扇動して戦争を煽った反省からとも。毎日新聞も(前身の東京日日新聞が)南京大虐殺の根拠と言われている、100人斬りを戦意高揚報道するなどしている。大衆を操る能力を使った、逆洗脳とも言える。

よく言われること

南京大虐殺 便衣兵(ゲリラ)の掃討は本当。一般市民の大量殺りくは出所の怪しい情報ばかり。検証以前のポンコツ情報が未だに持ち出されている感あり。

従軍慰安婦と強制連行 貧困層の出稼ぎや、身売りがすり替えられているというのが現在の認識。 日本にいた朝鮮半島出身者も大半は帰国事業で戦後に帰国している。在日問題に関しては、外国人労働者とその子孫という考えであるべきで、差別は言語道断。

■竹島問題

問題の根源

 要するに鬱陵島認識。鬱陵島は朝鮮(韓国)領なのは確認されているが、韓国側が、現在の竹島も鬱陵島の一部だと言い始めたのがそもそもの要因。

□韓国 竹島も付属して自分たちのもの。

□日本 鬱陵島は韓国領であるが、竹島は日本領、それは立証資料がある。

要するにこういうことでは。

 少年漫画風に表現すると、ルール、ルールという杓子定規な委員長メガネくんがいて、

J「ここは僕の土地だから出て行きたまえ」

K「そんなの関係無ぇ!ずっとすんでる愛着ある人間のものじゃないのか!」

J「こんな無法はゆるさないー、いいつけてやるー」

国際司法裁判所「住んでる人の権利もあるので配慮すべし」

K「わーい、大勝利、ルール厨ざまぁww」

 みたいなストーリーをあちら側は考えているのではないかと思うわけです。

 近代日本の信頼は、ルール順守の精神にあるので、後世から信頼を勝ち取るためにも、盲動無く歴史認識の正当性を説くことが大切なのではないでしょうか。

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2004年にテレビは終わった

パチンコ解禁はCM業界の断末魔?

 この記事を見てふと思ったのですが、パチンコCM解禁は2004年

 コピーガードが地上波デジタルに適用されるようになったのは、2004年4月からです。

 広告が減り始めたのはもっと前からですが、これはインターネットや、携帯に時間を取られるようになったので、家庭の中心では無くなったのが要因だと思います。

 広告収入目当てに、数兆円規模のパチマネーをあてにしたばっかりに、パチンコにせっせと生涯年収の大半をたたき込むような○○相手になり、これに見限った視聴者のテレビ離れがどんどんすすんでるところに、地上波デジタルにも試聴制限設けて、一層見せない努力。とどめは地上波一斉停波で、まだテレビをみてくれてたTVの奴隷世代を、切り捨てるわけです

 もう駄目かも。

 そんなわけでPS3配信コンテンツの忘念のザムドに期待。スタッフが『キングゲイナー』に近いのも高ポインツ。

 レンタルで、3日試聴、HD400円、SD300円というのは高すぎ。例えば一ヶ月分見返すの三日試聴しかできないのに、最低1200円~1600円というのはアホだと思います。出力先でせっせと録画しろってことですか? せめてメモリースティックにPSP画質録画はできますぐらいのサービスはつかないものでしょうか。(公式発表前なので)

 ここで一回購入したら何度でもリピートできる権があれば、ディスク無しでソフトを買ったようなものだから、結構購入意欲も湧いてくると思うのです。いつでもみれても、ソフトを買うのがオタクの性分ですし。

 ともあれ、これが成功して半分ぐらいにおっこちてくれれば、かなり許容範囲。高画質配信事業あれば、テレビなんかいらないのです。あんなものはただの垂れ流しです。アニオタは好きなときに高画質で見られれば幸せなのです。

 で、ここに広告代理店が絡んで、CMみたらタダになりますよ がくっつくとみんな幸せになれそうな気がします。

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伝説の近藤圭子

「豹の眼」と言う昭和34年の宣弘社制作のヒーロー番組がありました。この作品のヒロイン<錦華>役に、童謡歌手の近藤圭子さんがキャスティングされています。『透明人間』の盲目の少女役でもあります。

 童謡歌手というと、あまりピンとこないでしょうが、生で歌が聴ける童謡コンサートは絶大な人気がありました。その人気スターがテレビに毎週登場してたわけです。<錦華>というのは、清王朝の末裔で、清王朝復興を画策する秘密結社青龍党の党首でもあったりするわけです。

 美少女+王家の末裔+少林寺拳法+秘密結社の首領>財宝のアイテム保持者という素敵てんこもりの設定の上に、一人称が「錦華」だったりするのですね。しかもいい感じの高さの少女ボイスです。ついでに身内に陥れられるわ、笑い薬を喰らって笑い死にしそうになるわと、不幸の身の上もバッチリです。

 なんという、無敵ヒロインぶりでしょうか。

 あらためて吃驚です。近藤圭子さんは挿入歌「少女錦華の歌」も歌っています。

 その後怪傑ハリマオにも、ゲスト出演しますが、「南十字星の歌」というハリマオの挿入歌も歌っています。

まあ、この素敵っぷりを聴いて下さいな。

http://jp.youtube.com/watch?v=E1tmeBDw_Uc

 近藤圭子さんは、その後紆余曲折があり、引退してハワイに住まわれるとか。

残念なのが「少女錦華の歌」「南十字星の歌」が入った、市販CDがありません。唯一入っていたコロムビアファミリークラブの通販商品「永久保存版特撮・ヒーロー主題歌大全集」も今はありません。このまま記憶の中に埋もれていくだけなのでしょうか?

 今一度再評価するべき、伝説の歌手でしょう。

 参考

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ボンクラの壁

 創作論談義の続きです。

 「知人と同じようなレベルが出発点なのに、向こうは人気があって、こっちはまるで陽があたらないのですが、何が違うんでしょうね」

 という話。これはよく聞きます。

 もしかして、その知人とやらはメジャー指向で、売れてるものはパクリだろうが何だろうが、どんどん取り入れているのに対して、あなたは地道にやることが正しいことだと考えてませんか?

 これに符合しているなら原因は明白、立ちふさがってるのは「ボンクラの壁」です。

  ボンクラの壁は、努力や鍛錬によって突破できるかというと、残念ながらそうではありません。高確率でボンクラの壁の内側をグルグル回ってるだけなのです。努力が解決すると思いこんでることが、壁を越えられない要因の一つです。これを「ボンクラの虜」と呼びましょう。

 ボンクラか、ボンクラでないかの境目はただ一点。「受けの手応え」ではないかと思うのです。

 受けているものをフォローしていけば、「受け」の感覚が身につくのでフォロアーこそ近道というのは、ある程度正解。ただし、同じ技術論者との競争率が高いというのが欠点です。

 真似ることで感覚を体得していくのが良い学び方、ボンクラの壁を越えた世界がすでにお手本なのです。一方で、真似てるだけなのに自分の実力と勘違いして、必要感覚を身につけないのは駄目な学び方。ネタ元が枯渇したら共倒れです。

 ここで真似ることを恥とすると、自力でボンクラの壁を越えなければなりません。

 どうやって越えるべきかは私にも分かりません。どうやら、技術、独創性、大衆性の三つが柱であると睨んでますが、今のところ私自身ボンクラ突破したわけではないので、仮説のままです。自分で「これは受ける!」と閃くものが必要ですが、それもまた誤解であることがほとんどです。

 最低限、ボンクラの壁の中に引きこもりはすまいと思うのみです。

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テレビと広告の未来

 録画させないとかアホなこと言ってる連中はさておいて、もっとスポンサーと仲良くなろうビジョンを。

 広告主>広告代理店>制作会社>(テレビ局ぬかして)>視聴者の枠組みが作れたら新しいことになるのではないかと。

  • 番組は最初からネットなどで有料配信
  • ただし、スポンサー広告を試聴すれば、課金はスキップされる。<最初に選択できる>
  • 録画にはさらに追加料金で権利者に還元。またはスポンサーアンケートに答えると無料とか。

 広告見たくない人は自腹。こうすれば(番組提供)=(広告によって賄われる)の図式がハッキリするので、みんなが積極的に広告見ようという気になると思うのですがいかがでしょうか。スポンサーは話題性のある番組に期間契約、集中投資して新作の予算に充てる。内容重視なので、タレント戦略で最初の試聴数を稼いでも、内容がくだらなければはいそれまで。

 配信期間は1年ぐらいに限定して、以下ソフト販売に切り替えれば良いと思うのです。CM無しの番組なんかは、有料のままなので、むしろCM入れて下さいと懇願したいぐらいです。

 現在の配信普及率と、テレビの普及率が圧倒的に違うと言われそうですが、購入客の絞り込みができるので実際に購入する顧客が1,000人に一人なら、理論的には(日本5000万世帯にたいして)5万世帯の試聴が確保されていれば同等なわけです。

 配信は メインサーバー>ネット回線>セットトップボックス+テレビ、またはPC。

 CMスキップはオートにしておけば、普通のテレビ通り見られるし、視聴者のタイムシフトに完全対応。余った時間はCM専用枠として配信。

 あと、アナログ一斉停波とかアホなこと言わずに、NHKだけ残せば問題は少ないかと。公共放送かつ、受信料徴収してるんですから、もう見れないからNHK払わない騒ぎが絶対に起こると思うのです(そのためか今NHKは宅配徴収止めて、全部を口座引き落としにする計画、訪問人件費も削減で一石二鳥)。

  民放見たければデジタル買えばいいし、帯域はそれなりに空くので電波皮算用もそれなりに満たされると思うのです。

 そうなると、NHK一局集中になるので、また民放と大喧嘩になりそうですが。

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コピーするのは良いことだ

 先日、創作論の話になりまして、結果一致したのは「コピーは良いんじゃないか」ということ。

 順を追って説明すると、物語の創作には基礎という物が必要なのですが、音楽などと違って学校では基礎から教えてくれないわけです。

 では、どうやって基礎を学ぶかという点で、自分の好きなものを「丸写し」すれば、手っ取り早いわけです。観客の視点では好きな点のみに集中するが、その前後の過程をじっくりと知ることで、物語の構造が分かってくると言うわけです。

 そういうわけで、じゃんじゃん手コピー(耳コピー)するのが、創作の基礎になるので、パロディ同人誌などは基礎能力の育成にはうってつけな訳です。

 大事なのは、構造を知ることなので、構造を理解しないと、全く無意味と言えます。

 あとコピーとトレスは違います。トレスやっても、何も身につきません。それはただ、なぞってるだけ。

 プロになってからの、仕事上のコピーは言語道断。

 「好きな点」しか見ないのが、いわゆるオタクとかマニアの見方で、それ以外の所に眼を向けるのがクリエイターの視点です。その眼を養うにもコピーするのが、第一歩ではないかと思うのです。

 人目にさらさない限りは、どんなに丸写ししても大丈夫と言うことを、忘れてはいけません。

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原稿書き中

 忙しくて一日抜けてしまいました。あわわわ

  作業中に買ったCDで「3ばか大将」が激しくお薦めです。

個人的には「マイティハーキュリー」と「少年シンドバッド」と「キングコング」の歌が入ってるとこが激しくツボでした。

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初音ミクはもう終わった

 同人CDの「DEBUTANTE」と「CDできいてみて」を購入。

 つらつらと聴いて思うのは、「もう初音ミクじゃないんだなー」ということ。

 別にリン、レン、がくっぽいとかの時代になったとかじゃなくて、『初音ミク』が表現のシンボルじゃなく、その先にいるミュージシャンの顔が見えて来始めたと言うことです。

 初音ミク(ヴォーカロイド)のキャラクターに合わせた時代が終わって、ヴォーカロイドキャラらしからぬ、いい歌が出てきたときにまた次のステップに、進むことができるのではないしょうか。

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テレビと録画の未来

 ダビング10はいらない子、

 コピーワンスはもっといらない子。

 コピーワンス撲滅を目指していた人間としては、ダビング10はかなりの前進なので、ここまで頑張っていただいた、関係各位の皆様には、厚くお礼申し上げたいと思います。

 当面、コピー途中でデータがぶっ壊れる という最悪の状況は回避されたものの、ディスクには一世代コピーしかできないので、ディスクの劣化によっては、またいろいろ対策必要なのです。

 デジタルになってからの録画状況というのは、もはや最悪とも言うべきで、録画しても後から見返せないなら、録画機そのものを買う必要がないと言うことになりつつあります。

 そのかわりにちょい見需要を満たしてくれたのがYOUTUBEとニコニコ動画ですが、こちらも権利者削除の嵐で、へたすればこの先、放送電波は視聴者の上を素通りするだけのものになるわけです。

 なぜ録画機が売れなくなるのかを考えると

  • 見たい番組がない→録画機要らない
  • 録画機が無い→テレビ見ない

の消費減速スパイラルに陥ってる気がします。

 改めて、何故録画が必要なのかを強調すると、原則としてはタイムシフトで、試聴したいときに時間を合わせられる。または録画して全回を一気に見られるなどの利便性があります。

 逆面から見ると、録画機を駆逐する未来を、局側が望んでいるような気もします。放送とは定時に行われ、スポンサーへの関心を集めることで、広告料収入を得る理由になります。録画で、CMを飛ばされるなら、そもそも広告販売の意味が無く、(へたすれば)数年後に見られたところで、商品は売れてないし、何を今さらといった感じです。

 重要なのは広告を見せるための強制時間であることは明白です。

 ならば、無意味な(むしろ、口コミ効果を抹殺させている)ダビング防止コードよりも、CMは必ず一回は見ないとスキップできない、ノンスキップコードを開発し入れることの方が意味があるのではないでしょうか。 同じCMを何度も見せられても不愉快ですから、一回以上にして、製品詳細情報URLにリンクさせる方がよっぽど広告効果が高いと思うのです。

 アニメは、番組自体が商品なので、購入先を明記以上の広告は、入れる必要がありません。 番組録画することによって、製品(DVD)が売れなくなると言うのは一理ありますが、タダか、数千(万)円かの二者択一という、今のやり方自体がそもそもおかしいのでは無いでしょうか。

 くりかえしですみませんが、「試聴放送」と「製品」は明確に切り分けて、DVDBBなどを使って、広く安価に提供する方法の模索が必要なのではないでしょうか。

メディアのメリットデメリット

  • テレビ放送 ○無料で見られる ×CMが入る。放送時間が不安定。作りが荒い時がある。地方では見られない。
  • DVD(BD) ○内容が充実している。(一部)レンタルで見られる。高画質 ×高額。いらない特典が多すぎる。ハズレ回にもお金を払わなければならない。
  • ネット配信 ○どこでも見られる ×保存できないので、試聴範囲が制限される。

今必要とされる開発課題

  1. 広告番組の広告価値観を損なわないシステム。(CMスキップ制限)
  2. 権利者に課金配分される、番組供給(DVDBB)など

 これにプラスして市販DVDや、一世代録画ディスクを持ち歩ける、SONYのお出かけシステム的な一世代型携帯コピー機器の普及も望みます。

 あと、広告料カウントシステムなんかもできないでしょうか。例えばバンダイのガンダムのガンプラ買ったら、数番組の録画権がくっついてくるので、それで無料でDVDBBが録画できるとか、バンダイチャンネルのガンダムがいつでも無期限に見られるとか。

 ここまで来るとダビング10で将来バラ色にもならないし、ダビングコード完全撤廃で権利者が幸せになれるとも思わないのです。

 残念ながらコピーで充分という意識がある限りは、まだ、ダビングコード解除できるような状況じゃないと思います。それこそ予想されたとおりのコピー天国で、一挙壊滅のシナリオも考えるべきでしょう。

 まずは「権利者の利益」をしっかり根付かせることも、我々側の課題だと思います。

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後悔先に立たず

今気がついて、今日まででした。しまったたたたた

宇宙空母ブルーノア サウンドトラックアンコールプレス

 宇宙空母ブルーノアというのは宇宙戦艦ヤマトがヒットしたときに、「今度は海洋もの」と言うことで企画された作品と聴きます。「宇宙空母」という名前なのにやってることは「本格海洋SF」なので、宇宙戦艦戦を期待した当時のお子様にはヒットしなかった作品でした。地味だけどおもしろかった記憶があります。

 主題歌は川崎麻世氏のゴールデンベストに収録されていますが、やはり楽曲共々聴きたいものです。

追記 先ほど見たら8月13日まで延期になりました。良かった良かった、あと27人ほどブルーノア好きがいてくれれば(08/07/09 19:00)

このサビのブルーノァーー!をカラオケで歌うのがなかなか難しいのです。

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ホットファズ(ネタバレ無し)

 ホットファズ 5日から公開なので観に行ってきました。

 まぬけなおバカなポリスムービー・・・・・

      ・・・・・・・・・・・・・・と思っていたら、映画としての完成度も高くてびっくり。パロディやオマージュだけではなく、登場人物の感情の機微や、小ネタと思っていたら、後から生きてくる伏線のばらまきなど、感心する点も多くたっぷり楽しめました。なるほど映画ファンが高く評価するのも分かります。これは私もお薦めします。

 クライマックス近辺で、突然日本映画のアレ風になったりするのですが、プログラムを見たら「好きだから入れた」とのこと。ポリスムービーへの気持ちの良いリスペクトもありつつ、特有の趣味の悪さもあるので(事件シーンが直接描写で衝撃的)、良い経験になることでしょう。

 ひとつ残念なのはプログラム。 署名運動が映画公開に繋がった絡みで、「ホテルルワンダ」と「ザ・シンプソンズ」とかが引き合いに出されてるんですが、「署名が声優を変更させた」みたいなことが書かれています。 残念ながらタレント版は当初の予定通り公開されています。オリジナル声優版は、ソフト販売時の同時収録なので変更ではありません。

 デモまがいのことをやってでも、変更まで戦おうという動きもあったのですが、ファンとFOXが喧嘩するのは良くないという、大平透さんの意思で納めたものなので、当時一枚噛んだ人間としては、あれは勝利ではなく、最低限の所までしか行けなかったという思いで、「変更できなかった」ことは今でも心残りなのです。 ライター氏は、最低限の事実関係を確かめて書いて欲しいものです。

 それともう一点。  プログラムにある漫画家さんのイラストが、映画秘宝の08年3月 から転載されているんですが 、そこには

「いまごろ署名やっても、もう、遅いんじゃい!」

 と書いてあります。作家氏は映画秘宝向けに、毒のあること書いたと思います。しかし、これをプログラムに載せたら、わざわざ楽しみに映画館まで来てくれた、署名に協力してくれた人に対し、大変無礼だと言うことが、わからなかったのでしょうか?

 映画好きがニコニコ笑って楽しむ映画なのに、こういった不快な思いをさせる記述があることは、大変残念で仕方ありません。

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調査協力依頼

 夏コミに向けて、特撮、ヒーロー主題歌クロニクル執筆中です。時間的に間に合わないのでとりあえず第一期分で、白黒時代の特撮、ヒーロー、少年活劇を網羅して、再発見のきっかけになる本を目指して準備中です。

 調査困難なものはいくつもあるのですが、一点、超強敵があります。

 新諸国物語、『天の鶯』(てんのうぐいす)に関する資料をお持ちの方が、いらっしゃいましたら是非ともお力添え下さい。 今現在からはその姿すらもわからない有様です。

 現在までの調査記録。

  • 天の鶯 1959年(昭和34年) NHKでラジオ放送された新諸国物語の全7作中の6作目。(白鳥の騎士、笛吹童子、紅孔雀、オテナの塔、七つの誓い、天の鶯、黄金孔雀城 七つの誓いと天の鶯の間には2年空白あり)
  • 主題歌かどうか未確認ですが「天の鶯」という楽曲は確認。キングレコード 黄金時代~新諸国物語編に収録。 多分カバー曲。 現在廃盤ですが確保済み。
  • 唯一映画化されていない。

これまでの調査

  1. グーグル、Yahoo!検索 タイトルと放送年のみ
  2. 横浜放送ライブラリーで検索 該当なし
  3. NHK放送博物館ライブラリーで検索 該当なし
  4. NHK放送博物館、書籍ライブラリーで調査 該当なし
  5. 国会図書館で検索 該当なし
  6. JASRACの権利者検索でヒットしたのは、上記キングレコード盤と思われるデータ。

 後は、大宅壮一文庫で当時のラジオかテレビ関連雑誌を、総当たりぐらいしか思いつきません。もし、天の鶯関係のこと、聴いた記憶でもかまいませんので、ご連絡いただければ幸いです。 VYG03562@nifty.ne.jp

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少女美、少年美論

 弥生美術館で乙女のイコン展開催中です。

 大正、昭和初期の少年、少女雑誌というのは、私たちの考える近代ロマンチシズムの源流があると思います。

 19世紀末に花開いた、アール・ヌーボー(新しい芸術)が、日本芸術(私は主線<おもせん>文化と思ってますが)に影響を、受けていると言われています。

 そのアール・ヌーボーというのは工業技術の発展による、大量生産時代のデザイン文化で、世界各地のデザイナーに影響を与えたのはご存じの通り。その源流の国日本では、線描による表現というのが、脈々と受け継がれていて、<浮世絵>と<アニメ絵>のブリッジになるのが大正、昭和初期の印刷技術発展による、通俗文化であると考えます。

 乙女のイコン展で注目して頂きたいのが、男性作家による少女絵で、これはある種日本人特有の少女美、少年美が児童雑誌の勃興により確立されたものではないかと思います。

※ここから先は違う話です。下品な話を含みますので要注意!!

 西洋の思想基軸が一神、万物創造の神であり、神の最高の造形物が人間とするなら、それ以上の美は無いとするのが自然な発想。 日本人は人間さえも自由闊達に描写することで、創造に対する枷がない世界を作り上げた。これが今のオタク的なものの、始まりではないかと考えます

 少女美の、さらに源流を追うなら、巫女崇拝ではないかと思います。神託と受ける受動的な物と同時に、神の代わりであるものと、まぐわりたい、性交したいというのは、西洋思想ではまずあり得ない、願望であるとおもいます。

 少女、少年を神聖視する過程での美化が、近代、大衆と向き合うことで洗練されていったのではないでしょうか。極論を言えば美少年美少女は宗教的イコン(象徴)であったということです。

 さて、少女、少年と(ぶっちゃけたはなし)性交したいというのが、根源的な願望であるとしても、現実問題、本人が望まぬ形で遺物を挿入され、体液を混ぜ合わされるというのは、想像を絶する苦痛である訳で、人道的にも未成年は絶対的に保護せねばならないという、意識は強く持たねばなりません。<キヨラカナルモノ>と交わりたいというのは、片方にとって「清め」であっても、片方にとっては「穢(けが)れ」なのです。

 生身NGの中、憧憬的な願望を、自らの想像の元に紙やフィルムに転写していったのが、「オタク文化」を産み出す日本人の意識的なエネルギーではないかと思うのです。<永遠にキヨラカナルモノ>への願望が、度を超えると、非処女を嫌がる、お子様的な迷信に転ずることもままあるので、弊害もあります。

 地域にもよりますが昔は「七つ八つはカミのうち」と言って、子供は天からのありがたい授かり物という認識もありました。その「カミ」的なもの<キヨラカナルモノの人間化>のひとつが恋愛ではないかと考えます。

 女性側がヒトとして自分を認めて貰いたい恋愛意識が強いのに対し、男性側は、その能力によって、周囲に認められるかが決まるので、恋愛によっては自己は確立しないとも言えます。男性視点の萌え物では主人公が恋愛していないことが多いというのは、こういった意識なのかもしれません。

「男性は能力を認められない限り、子供の性質を持ち続ける」とも言えます。クリエイターにお子様気質人が多いのは、永遠に認められることのない不安感の裏返しというのは、空想しすぎでしょうか。

 まずは、少女、少年崇拝は信仰である。という意識的なセットをする必要があるのではないのでしょうか。そのうえで人の営みに生きるところをちゃんと立脚しないと、しまいには異性はバーチャルで充分、とかいう話になっちゃうのだと思います。

 わかりやすく言うなら「アニメ(空想)キャラで、オナニーするのは浄化願望なので、精神異常じゃないよ」「美少女、美少年が大好きなのは、信仰にちかい。これは日本人が創造能力を真っ先に確立しただけで、他の国でも同じかもよ」「生身を、信仰とごっちゃにするなかれ、生身に萌え要素はあっても、萌えじゃ無ぇ」

 てなとこですか。

 

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評論十戒

自分用のメモなので、他人様に強要したり、こうあるべきと言うものではありません。

1.根拠無き全体批判は、ただの侮辱であり、
  最も品のない幼稚な行為である。

2.自分の主観は、絶対正義ではない。
  主観のみに立脚するなら、それは一個の感想であるとするべし。
  感想には誰も目くじらを立てないが、読まれることも少ない。
 
3.言論の自由がある限り、何を言い放つのも自由であるが、
  無視しても良い自由も先方にある。
  それが中身のない物、間違った物である場合は、
  作者やその周辺が受け入れないことも自覚せねばならない。
  相手が批評批判に答えないのは、正当性の証とはなり得ない。

4.作者個人などを取り上げるときは、その人格に対する
 「決めつけ」が根拠であることを自覚せねばならない。
  その「決めつけ」が正しいと言い張るなら、何か問題がある。

5.「ここはこうしたほうが良い」は作品矯正ではない。
  ピラミッドの頂点の石を、赤いのが良いか、青いのが良いか、
  四角でも三角でも光っていても、それらは好みの問題。
  クリエイターはその下の段から時間をかけて
  積み重ねていったのであって、
  頂点の石をいじったところで、そのクリエイターと
  同等の資質は持たない。
  初心者批評の最も陥りやすい間違いである。

6.不満はバランスの悪さに起因することが多い。
   例えば伏線が貼られていない唐突なオチ。
  当初のキャラクター像がいつの間にか変質している等。
  前後関係の悪さを指摘するのは、批判としては正当である。

7.面倒くさいからと言って、論説の根拠を説明しないなら、
  それは、根拠がないのと同等である。
   実は深い考えがあると百回弁解する暇に、説明した方が早い。
  他人が都合良く解釈してくれることを望むなら、
  それは他人の意見である。 

8..情報は自分が獲得した物か、他人から与えられたかを明確に
  切り分けなければならない。
   誤った風説を根拠とするなら誤解を拡散させた責任を負う。
  自分で知り得た知識を、わかりやすく用いるのは上級の評。

9.間違った情報は速やかに訂正されるのが好ましい。
  訂正の受け皿は常に用意しておく必要がある。

10.最後に信念を持って書くことが重要である。
   どんな反論を受けようとも、それが間違いでないかぎりは
  反論に対する、反論を良しとする。

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TVのデジタル化で日本に革命が起きる

 バタフライ理論(風が吹けば桶屋が儲かる)ネタだったのですが・・・・

  1. テレビは視覚を奪う娯楽である、家庭内にあることから、常時個人の時間を奪い続けている。
  2. かって一億総白痴化と呼ばれたように、視聴者は思考しなくなり テレビメッセージに順応するようになる。
  3. 水は低きに流れると言うが、娯楽の軽薄化単純化も進み、現在では内容を語るべきドラマであっても、時間毎の山場視聴率重視で作られる。 バラエティに至っては、火事場見物的、タレントの不幸を楽しむ傍観者の興味でしか無いものが多い。芸能が重視されることは少なくなった。
  4. 国民の白痴化に合わせ、テレビも同レベルに白痴化してきた。 そのタイミングで、デジタル化という「TVを捨てさせる」 ことが行政主導で行われている。
  5. デジタルになっても見るべき価値の番組がないなら、 これを機に一斉にテレビ離れが起こる。 これは今まで反発分子を抑えてきた「貧乏人のゆりかご」が無くなるということである。
  6. 空白となった時間は社会の不満へと向けられる。これは施政者にとって最もやっかいな「知の目覚め」である。 または逆に知を失った超愚民化も進む。デジタルを買い換えても白痴化は変化していない。
  7. 大衆の意見として君臨し続けた、テレビマスコミがその発言力を失う。
  8. 直観的な正義に従い、過激な運動が起こる可能性が高くなる。(最近だとイタリアの落書き犯への追求、毎日新聞のエロ記事配信に対する抗議等) そのものごとへの検証が追いつく前に、拙速に行動が始まってしまう。
  9. 大衆に対するコントロールも、テレビ、ラジオ、新聞のない、自己選択型の情報家庭には届かない。
  10. 怒りの矛先は、最終的に政治へと向けられ、国内が乱れる。 ちゅどーん

 さんざん白痴化が進んだところで、言うことを聞かせていた情報から、隔離されたらどうなるかということですね。

結論
 まともな番組作らないと国家ごと滅ぶ瀬戸際。お隣の国で起きる昨今の暴動は、未来の姿のような気がします。TVのあり方も踏まえて、デジタルのTVは、より進歩的な物でなければならないかと。

 デジタル化の皮算用で、メッセージの媒体を失うのは愚策きわめり。

 著作権者に直接利益や評価がカウントされる、ネットワークシステム作りが必要だと思います。食事しながらみるような軽いバラエティと、問題提起を踏まえたドキュメンタリーや良心的な番組が、視聴率のみで優劣決められるのは変。

 評価には引用も必要、映像が著作権保護で引用できないようでは、直接には伝えられません。しかるべきフェアユースも考えるべきです。

 新しいテレビが確立するまで、アナログ止めなくてもいいんじゃないの?

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パブリックドメイン活用案

 ニコニコがションボリー

 ふと思ったのですが、著作権関係の法改正をして、低画質な物に限りパブリックドメインにできないものでしょうか。

 例えば放送(公開)後40年たったら、何でもパブリックドメインになって、自由に図書館などで観覧できる。パブリックドメインとは言っても、商標権を始め声優の権利とか脚本の権利とかはちゃんと残しておいて、販売等はその辺をクリアしない限り一切できない。

 過去の名作が自由に見られることは、過去作品に脚光が当たるし、研究評価もさらに深くなると思うのです。イメージとしては図書館毎にサーバーを置いて、各地に分散させつつ総合的なアニメとかのライブラリーを作って、利用者には広く公開するやり方。高画質で欲しければ購入せよと。

 仮に40年で、今だとモノクロアニメとかが解放時期で、しばらくして第一次アニメブームが解放されちゃったりすると、映像を引用しながら語り放題できるので、それはそれはうっとりするぐらい素敵なのです。映像付きで語らしてくれれば最強なのに。

 今の著作権保護が、むしろ文化育成の真逆を走ってるようにしか思えないのですよ。国会図書館のおかげでどれだけ調査再発掘が進むか見ていれば、知にアクセスできるのは、重要不可欠なのです。ニコニコ潰して売り上げ超アップ、録画保証金でクリエイターの皆さんに年金とかなったら、考えを改める次第ですが。

 明日の人材と、過去の職人の方達に役立つ大転換を望みたいです。

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ガソリン高騰でDQN車大発生

 ガソリン高騰、近所ではレギュラー186円とか平気で付く有様。

 結果論としてCO2削減にはなっているのは、功罪の功としても、打合せやなんだで、遠くに行ったり、人を乗っけて走る必要があるので、予算直撃になってます。

 リッター11.8キロのうちの車ですら、乗るのが厳しくなってきたので、遠乗り移動のメインがヴェクスターという、150ccの中型スクーターになったわけですが、夜中にちょろちょろ走ってると、夏場に近づきやたら改造中型スクーターが増えてきたように見えます。

 知人の弁によると

 いわゆるVIPカーなど、高級車の型落ちを使った改造車が増えてきたが、ガソリン高騰で乗れなくなった。>中型免許の必要な、大型スクーター(カコイイ!)が中古市場に流れてきた>燃費は20キロ/Lはいく、経済的な上に渋滞知らず、ふんぞり返ってタバコに飲み物。細い路地や脇抜けもできてサイコーじゃん!

 てな事で、夜中にエンジン音と、バイクステレオ慣らしながらでろでろ走るのが目下増殖中のご様子。

 「AKIRA」を地でいく姿は、ちょっぴり未来的ではありますが、騒音、蛇行、信号無視、強引な車線変更、その他モロモロで迷惑な限りなので、改造車摘発の法改正を強く望むものです。

 

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アニメ批評が成り立つには

 アニメ評論、批評が成り立たないのは、一番の理由が商売にならないからでしょう。

 アニメ関連誌で一番売れるのはやはり、絵が沢山入ったもの。要するに作品ファンはそのキャラクターに思い入れているものなので、その所有欲に訴えかけるのが一番なのです。

 文字による設定、インタビューは二の次。それも監督インタビューとか、声優インタビュー(苦笑)が先で、物語の背面解説はその後。ライターの解説なんて、文字数埋めるために利用するのが大半で、ライター目当てに本を買う人は皆無か、ごく少数でしょう。

 作品大好きで、買ってる人間に作品批判を読ませるなんてありえません。それは買った人のやることであり、情報提供するまでが出版ライターのお仕事。越権して批判を書き始めたら、それはオーダー外になるので即座にライター失格。

 作品批評に徹した本を作るとなると、版権元は嫌がってフォトを貸してくれない、版元チェックを出した場合、徹底的に修正されるか無視。その結果文章内の間違いなどが訂正されない場合があるので、誤解をまき散らすことも充分あり得ます。

 ともかく、作品の絵を借りるとか、インタビューするとか、アニメからの恩恵を受けない代わりに、無礼討ち的報復を喰らわないようにするのが一番でしょう。有力スポンサーが付く雑誌、はたまた「辛口批判」を売りにするコンテンツなど、独立採算でビジネスに乗るなら可能性は見えてきます。

 そのうえで、商業ライターとしての責任、(文章が)読みやすいか、(内容が)わかりやすいか、ものごとの本質を突いているか、などの枷を与えて、編集長及び編集スタッフが責任持って内容を間違いの無いよう監視していくのなら、コアなアニメファンや、業界人が手にしてくれる物になるかもしれません。

 口を酸っぱくして言いますが、批判は物事を研磨しません。条件反射で書いたような訳知り批判が、常に正鵠を射ていると考えるのは、思い上がりも良いところです

 スポンサー、編集者、ライターの三位一体の強い自己責任が果たせるのなら、広く知らしめる価値のある、アニメ批評というのが成り立つのではないでしょうか。

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