秋葉原の事件とモラルハザード
マスコミ報道を見て思うのですが、
死者の追悼の後には、おもしろおかしく視聴者読者の興味を引く報道という名の推測をばらまきます。
<事件発生><事件報道><推測報道>~新しい事件にスイッチ。を繰り返しています。
本当に事件を考えたいなら、犯人が冷静になってから、パニックから醒めた後のほうが事件は明確さを持ちますが、その時は推測や憶測が撒き散らかされた後なのです。
ひどい言葉なのを承知で使います。
視聴率(部数)乞食
秋葉原は視聴率をあさる場になりました。関連 桃井はるこさんのブログ
事件の客観性を欠き、一点の手がかりを全体であるように見せかけ、事件事故を誇張してニュースに仕立て上げる。それをモラルハザードと言わずになんと呼ぶのでしょうか。
犯人はオタクだった、ナイフマニアだ、エリートコースが脱落した、格差社会の被害者だ、視聴者(読者)が望む真実に対し、よりもっともらしいことをこじつけたもの勝ちであり、それが真実であるかはどうでもいいのです。
それでいて、犯人が手がけたであろうトヨタ車のことはおくびにも出さない。仮に事件の根源がトヨタの合理化にあったのなら、即座にこのニュースから手を引くか、別の要因捜しに必死になることでしょう。
どんな理由があろうと、自称社会的弱者が、さらに弱者(交通弱者、武器を持たぬ者)を殺傷したことは明白です。
その原因が、もしテレビや雑誌で見た秋葉原報道であるならどうでしょうか、それがどんなに真実に近くても、報道が無かったことにすれば、モラル以前の問題だと思います。
もう一つ
予想通り歩行者天国の中止が検討されています。
頼むから、ぼくらの歩行者天国を守れ などと馬鹿げたことは言い出さないで欲しい。
警察が恐れているのは、TVを見た模倣犯の発生であると考えますし、ましてや人が死んだ現場やその近くでへらへら笑って、いつものアキバを謳歌することが、死者への追悼などと言う、たわけた言葉は聞きたくもありません。
私は中止を全面的に支持します。 ただ、無くさないで欲しい。それだけです。
幼稚な警察批判を始める前に、まずは警察警備のことをよく考えて欲しいと思います。正直なところ、「あんな凄惨な事件後でも女装男がアニメダンスしているような街は守りたくない」と言われれば、ぐうの音も出ません。
自分だけは特別という、モラルの希薄さが横行するようなら、そこに守るべき街の価値は無いと思います。
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