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肥大化した自己のはけ口

 最近、肥大化する自己意識というテーマを研究しています。

 私は、雷句誠さんの立場を支持しますが、同時にマンガ家側の意識改革も必要だと考えています。

 モンスターペアレンツという言葉を最近よく聞きます。教師をやっている友人からは、いかに非常識な親がいるかをよく聞かされます。

 作家である側もモンスターと化してはいませんか?

 モンスターマンガ家、モンスター作家などと蔭で呼ばれているかもしれません。 知ってる話で有名なのが、当時人気最高潮(から落ち気味)の某作家弁当事件。

 担当は作家宅に伺う度に高級料亭の弁当を持参するというルールが出来上がっていたらしく、これを「食事の手配ができないから忙しい」からと思った人間が、ほかほか弁当を買って持って行ったら激怒した。という話です。

 人気のある作家に大してなので尾ひれの付いた話と思ってますが、さもありなんと思わせるぐらい日常茶飯事です。約束を守らない、嘘をつく、責任転嫁をする、逃げる。といった失格人間の作家は山のように知ってるので(というか、一部の善人作家とよばれる人以外は、ほぼ全員大なり小なり該当しています)、モンスター化してる自覚もないのもどうかと思うのです。軽微なところは打合せ時のお使いに始まり、果ては「アイデアのでないのはお前が気に入らないせいだ!」とか怒鳴られる編集氏もたまったものじゃないでしょう。

 作家は「自分は必要とされている」というガラスのプライドで土台を支えているので、必要とされている証は、あればあるほど自信につながりますので、何とも言えない部分もあります。

 一方で、雷句氏や松永氏、新條氏のの語られる編集者氏には「作家の生殺与奪の権利を持つ」という会社の威光を自分の力と勘違いしたモンスター編集者の姿が見えます。 実際にそういう会社の権威とかをすぐに持ち出す人間も知ってるので、被害妄想が生み出した人物像とは私には思えません。

 双方とも、客観視を失っていては、歩み寄りは望めないのではないでしょうか。

 秋葉原で事件を起こした卑怯な男も、通り魔事件や一般犯罪に至るまで、あらゆる事件の根底には、肥大化した自己から自分を抑圧した物に対する腹いせや、自分の正当化があるように思えます。

 モンスター化している自分を見つめる能力が育たない限り、あつれきは永久に解消されないのではないのでしょうか。

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