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アニメ評論家などいない

 ライター関係の知り合いで、少々話題になったのが、とある雑誌記事で「今はちゃんとした評論家がいない」という談話。関係者のほとんどで「(昔から)いやしないのさ、そんな人~」という話になったのでした。良い評論だと思いこんでるのは、たぶん自分にマッチした感想のことではないかと。

 いろいろと話を総合すると、全世界大衆が望んでいる「アニメ評論家」とやらはあふれる知識を持って、作品の功罪を、快刀乱麻を断つが如くバサリバサリと切り裂いて、良点は誉め、悪いところはびしりと指摘する、そういう姿なのだと思います。

 私、個人の意見としては、まずあり得ません。

  1. 根本的に知識量には限界がある。「あるジャンル」ないし「ある作家」限定では相対的(過去のものと比較して)に、最新作を語ることは可能ですが、すべてのジャンルにおいて正当な作品論を書くことは難しい。
  2. 個人の意見は、個人の感性に由来するので、作品から感ずる当たり外れのブレが大きい。好きなジャンルであるほど、判定評価が厳しくなると言う、逆転現象が発生する。
  3. 評論家というなら、それで原稿料などを貰わなければならないが、そうなると利害補正が働くので、公正な評価は期待できなくなる。ブログで無料で書く限りはプロの評論家とは言えない。それは、専門的なご意見番。
  4. マイナス面を指摘しても、その作品のファンに納得して貰うことは難しい。結果「好きな作品を汚された」というヒステリーが評論家に向けられて、評論家を評論する現象が発生して、言うべき内容が混濁を始める。
  5. 厳しい意見は、作品を研磨しない。とある人の弁「2ちゃんの出現以降、作品は良くなったかというと疑問が残る。自由な意見は玉石混淆であり、一個の玉(良質な厳しい意見)を拾うために石山をほじくり返したりはしない。不用意に近づけば石山の主は嬉々として、玉のつもりで石を投げつけてくる。ぶつけられた痛みは彼らには絶対に分からない」

 このブログも、理想とする評論空間実現のために、起こしたしたものですが、それでも作者にダメージになるような、本当に思ったことは書かない。というルール決めをしてるので、自発的な場所であってもかなり補正を働かせています。

 そういう配慮補正が無い評論というものは、血まみれの石のぶつけ合いであり、配慮補正が強くなるほど、今度は論ずるべき点がボヤけていくと思うのでした。

 だいたい作品評論をするためには、そのソースとして録画物なりが必要なのですが、著作権最優先、徹底的な個人視聴で、作品の貸し借りさえも断固として許さないとか言ってるのは、批評評論潰しに他ならず、ただ盲目的に購入を希望するという、ゆがんだ欲望が顕在化している今、何を語れるというのでしょうか

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