批判の品格2
思えば、クリエイター側に批評に対する反論の場は与えられているでしょうか?
次回作こそが、その反論の場というのは正論ではあります。
しかし「彼はファンから嫌われてるから」と、干されてしまう例も知ってます。ブログで発言しても、「プロが言い訳をするな」と袋だたきにされることもままあります。結果、評論感想は無視して、ただ自己研鑽に励むのが一番の技術の昇華方なので、結果「グダグダ言うヤツには近づくな」という先日の、飲み屋ネタに繋がります。
さて、
SKIP IT!(捨てちまえ!)
かって、こういうことを、三段階評価で傍若無人に言い放つ、非情に無礼な原えりすんというライターがいました。 ええ、私のことです。
ただの悪口にならずに、残念点を浮き彫りにして、批判問題点の指摘による浄化作用を淡くも期待していました。
結果どうなったかと言うと、上から目線、間違いでも言い放つ、周囲からの圧力、自分以外へ迷惑をかける、原えりすん批判など、本人と本人の思わぬところで、重大なあつれきを産み出す結果になりました。
タブーに踏み込んだライターとして、かなりリスペクトもされましたが、結果的には、誉めたものは堅調に評価を伸ばし続け、けなしたものが良くなったという例は数少ないです。良くなったとしてもそれは、自浄努力によるものなのでトリガーになった批評というのは、重要視される要素ではありません。
原えりすんだった人間として、あえて言いたいのです。
批判をしても、浄化作用は行われない!
問題点というのは、根源的な失格のみならず、思わぬ所のひずみから発生することも多々あるので、、分かっていてもどうにもならん事が多いのです。
結果、私の得た結論としては
みんな、誉めれば伸びる子。
という事です。良い点を独自の視点で評価しつつ、その成長の阻害点となる部分も、臆せずにちゃんと指摘できるのが、私の思う完璧な評論であります。
評論家達も、知識を研磨し、「この人は悪いことも言うが、良い面も拾い出してくれる」と思って頂き、作者、ファン、それ以外の人達にプラスになる評論こそが、最も価値高きと信じるものです。
不肖、葉山41歳。今だその域に達せず、感情に左右され、私の思う評論達人まで遙かおよばずと痛感する毎日です。
批判、一切を禁止するとする、雑誌や商業レビューの弊害ここに極めりとする。諸氏の危惧は大いに理解するもので、幾ばくかの原稿料をかなぐり捨ててでもブログという道があることは、我が身の天佑と思ってます。
ただそこで、批判こそが価値ある唯一の手段では無いことだけは、経験者の弁として、心に留めておいて欲しいと願います。
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