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批判の品格3

 私の過去の悪行を赤裸々に告白するなら、葉山霄こと旧名原えりすんは、過去にいろいろと他人を怒らせていました。

 恥知らずを覚悟で弁明するなら、その時々にも根拠と考えがありましたが、無知や、著(いちじる)しい失敬がそれで浄化されようはずもなく、方々でトラブルになりました。

 怒りの発火点は分かりようもなく、「自分は正しいと思った」が、だいたい怒らせる要因なので、謝罪に対してなにが問題であったか分からない限り、問題の根源は何ら解決されません。ましてや、自分は正しかったと言いはるなら、この怒りは永久に解除されないままです。

 私も愉快な原稿を書くことを信条とするため、時折図に乗ること甚(はなは)だしく、本来得られた信頼から発生する物を失い、我が身を削ってあの時の無礼を骨身に染みさせることで、せめてもの贖罪と考えております。

 無礼討ち という言葉があります。

 書きすぎたこと、間違ったことで、その対象当人から否定されるのは当然のことで、「批判を書いたから、干された、怒られた、否定された」というのは、ずけずけと本当のことを書いて相手を恥じさせ、その恥じ隠しに復讐されたのか、ただ単にトンマな事を書いて無礼討ちを喰らったのかを検証しない限り、書き手の資質を隠したまま、正当ぶるということにはならないでしょうか?

 言論の自由というのがある限り、「個人の感想」は重んじるべきではありますが、有形無形の無礼討ちを行う権利というものも、(ほとんど行使されないとしても) 作者側にあることを覚悟しなければならないのです。

 無礼討ちが怖くて、安全なところから、こそこそ無礼を働くのは、失礼を通り越してまさに卑怯と言うべきです。

 品格無き批判は、百害あって一利無し。的はずれな批判は、怒りによる断絶を生み続けるのみで、反省をうながしものごとを研磨したりはしないのです。

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