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2008年6月

批判の品格3

 私の過去の悪行を赤裸々に告白するなら、葉山霄こと旧名原えりすんは、過去にいろいろと他人を怒らせていました。

 恥知らずを覚悟で弁明するなら、その時々にも根拠と考えがありましたが、無知や、著(いちじる)しい失敬がそれで浄化されようはずもなく、方々でトラブルになりました。

 怒りの発火点は分かりようもなく、「自分は正しいと思った」が、だいたい怒らせる要因なので、謝罪に対してなにが問題であったか分からない限り、問題の根源は何ら解決されません。ましてや、自分は正しかったと言いはるなら、この怒りは永久に解除されないままです。

 私も愉快な原稿を書くことを信条とするため、時折図に乗ること甚(はなは)だしく、本来得られた信頼から発生する物を失い、我が身を削ってあの時の無礼を骨身に染みさせることで、せめてもの贖罪と考えております。

 無礼討ち という言葉があります。

 書きすぎたこと、間違ったことで、その対象当人から否定されるのは当然のことで、「批判を書いたから、干された、怒られた、否定された」というのは、ずけずけと本当のことを書いて相手を恥じさせ、その恥じ隠しに復讐されたのか、ただ単にトンマな事を書いて無礼討ちを喰らったのかを検証しない限り、書き手の資質を隠したまま、正当ぶるということにはならないでしょうか?

 言論の自由というのがある限り、「個人の感想」は重んじるべきではありますが、有形無形の無礼討ちを行う権利というものも、(ほとんど行使されないとしても) 作者側にあることを覚悟しなければならないのです。

 無礼討ちが怖くて、安全なところから、こそこそ無礼を働くのは、失礼を通り越してまさに卑怯と言うべきです。

 品格無き批判は、百害あって一利無し。的はずれな批判は、怒りによる断絶を生み続けるのみで、反省をうながしものごとを研磨したりはしないのです。

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批判の品格2

 思えば、クリエイター側に批評に対する反論の場は与えられているでしょうか?

 次回作こそが、その反論の場というのは正論ではあります。

 しかし「彼はファンから嫌われてるから」と、干されてしまう例も知ってます。ブログで発言しても、「プロが言い訳をするな」と袋だたきにされることもままあります。結果、評論感想は無視して、ただ自己研鑽に励むのが一番の技術の昇華方なので、結果「グダグダ言うヤツには近づくな」という先日の、飲み屋ネタに繋がります。

 さて、

 SKIP IT!(捨てちまえ!)

 かって、こういうことを、三段階評価で傍若無人に言い放つ、非情に無礼な原えりすんというライターがいました。 ええ、私のことです

 ただの悪口にならずに、残念点を浮き彫りにして、批判問題点の指摘による浄化作用を淡くも期待していました。

 結果どうなったかと言うと、から目線、間違いでも言い放つ、周囲からの圧力、自分以外へ迷惑をかける、原えりすん批判など、本人と本人の思わぬところで、重大なあつれきを産み出す結果になりました。

 タブーに踏み込んだライターとして、かなりリスペクトもされましたが、結果的には、誉めたものは堅調に評価を伸ばし続け、けなしたものが良くなったという例は数少ないです。良くなったとしてもそれは、自浄努力によるものなのでトリガーになった批評というのは、重要視される要素ではありません。

 原えりすんだった人間として、あえて言いたいのです。

 批判をしても、浄化作用は行われない!

 問題点というのは、根源的な失格のみならず、思わぬ所のひずみから発生することも多々あるので、、分かっていてもどうにもならん事が多いのです。

 結果、私の得た結論としては

 みんな、誉めれば伸びる子。

 という事です。良い点を独自の視点で評価しつつ、その成長の阻害点となる部分も、臆せずにちゃんと指摘できるのが、私の思う完璧な評論であります。

 評論家達も、知識を研磨し、「この人は悪いことも言うが、良い面も拾い出してくれる」と思って頂き、作者、ファン、それ以外の人達にプラスになる評論こそが、最も価値高きと信じるものです。

 不肖、葉山41歳。今だその域に達せず、感情に左右され、私の思う評論達人まで遙かおよばずと痛感する毎日です。

 批判、一切を禁止するとする、雑誌や商業レビューの弊害ここに極めりとする。諸氏の危惧は大いに理解するもので、幾ばくかの原稿料をかなぐり捨ててでもブログという道があることは、我が身の天佑と思ってます。

 ただそこで、批判こそが価値ある唯一の手段では無いことだけは、経験者の弁として、心に留めておいて欲しいと願います。

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批判の品格

 同業者が批判するなら、敵だ!(作品で)ぶっ殺せ!

 評論家が批判するなら思いとどまれ! あいつらは敵も殺ってくれる!

 オタクが批判するなら笑ってごまかせ! ゲスな言葉を吐いてもお客様だ!

 飲み屋のネタですが、ライターや批評家がどんなに作品に対して批評しても、その作品の反省材料として糧になるより、ただ単に同業者のウサばらしになるだけという、印象を受けました。

 批判が作品のためには、的確に問題点を注視して、なおかつ解決の批判のヒントを示唆する内容を持たなければ、価値がないと考えています。

 「つまらん!」とか「今回も駄作」だった、「コイツ才能ねーよw」とか書いても、どこがつまらないか、駄目かが明確ではない限り、それはただの侮辱でしかないのです。問題点に関して、時間をかけて取り組んでくれるのが良い批判。めんどくさいから、気に入らないからで罵倒のみしかできないのは、悪い批判ではなく、もはや侮辱です。

 侮辱と批判がわからくて、自分は良い批判しているつもりになってる人がいる限り、批判の質は永久に高くならないと思うのです。

 自分の感性において解釈するのは「表現の自由」の一環で、それは作品批評として呼ぶべきではないのかもしれません。あくまで個人の感想。

  問題点解決の示唆なんて、それこそ神のような眼がないかぎりムリ。凡人にできるのは問題点の違和感や改善点を、書くぐらい。当人から的はずれと、笑われる覚悟も必要です。

 問題点解決の示唆を含まないのなら、書いてる批判者当人の思いに反し、それは同業者をニヤニヤさせるだけのものなのかもしれません。

 ちなみに上記のネタにはオチがあります。

 隊長!買わない、誉めもしないオタクはどうしますか!

 そいつらは自分を人間だと思ってる、オ(ピー)コの滓だ!臭ぇから近寄るな!

感想を馬鹿にしてるんじゃなくて、クリエイター側も、個人が気軽に書く感想と批評を一緒にしてはいかん、いちいち期待して自分から近づくなと言う意味です。

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アニメ評論家などいない

 ライター関係の知り合いで、少々話題になったのが、とある雑誌記事で「今はちゃんとした評論家がいない」という談話。関係者のほとんどで「(昔から)いやしないのさ、そんな人~」という話になったのでした。良い評論だと思いこんでるのは、たぶん自分にマッチした感想のことではないかと。

 いろいろと話を総合すると、全世界大衆が望んでいる「アニメ評論家」とやらはあふれる知識を持って、作品の功罪を、快刀乱麻を断つが如くバサリバサリと切り裂いて、良点は誉め、悪いところはびしりと指摘する、そういう姿なのだと思います。

 私、個人の意見としては、まずあり得ません。

  1. 根本的に知識量には限界がある。「あるジャンル」ないし「ある作家」限定では相対的(過去のものと比較して)に、最新作を語ることは可能ですが、すべてのジャンルにおいて正当な作品論を書くことは難しい。
  2. 個人の意見は、個人の感性に由来するので、作品から感ずる当たり外れのブレが大きい。好きなジャンルであるほど、判定評価が厳しくなると言う、逆転現象が発生する。
  3. 評論家というなら、それで原稿料などを貰わなければならないが、そうなると利害補正が働くので、公正な評価は期待できなくなる。ブログで無料で書く限りはプロの評論家とは言えない。それは、専門的なご意見番。
  4. マイナス面を指摘しても、その作品のファンに納得して貰うことは難しい。結果「好きな作品を汚された」というヒステリーが評論家に向けられて、評論家を評論する現象が発生して、言うべき内容が混濁を始める。
  5. 厳しい意見は、作品を研磨しない。とある人の弁「2ちゃんの出現以降、作品は良くなったかというと疑問が残る。自由な意見は玉石混淆であり、一個の玉(良質な厳しい意見)を拾うために石山をほじくり返したりはしない。不用意に近づけば石山の主は嬉々として、玉のつもりで石を投げつけてくる。ぶつけられた痛みは彼らには絶対に分からない」

 このブログも、理想とする評論空間実現のために、起こしたしたものですが、それでも作者にダメージになるような、本当に思ったことは書かない。というルール決めをしてるので、自発的な場所であってもかなり補正を働かせています。

 そういう配慮補正が無い評論というものは、血まみれの石のぶつけ合いであり、配慮補正が強くなるほど、今度は論ずるべき点がボヤけていくと思うのでした。

 だいたい作品評論をするためには、そのソースとして録画物なりが必要なのですが、著作権最優先、徹底的な個人視聴で、作品の貸し借りさえも断固として許さないとか言ってるのは、批評評論潰しに他ならず、ただ盲目的に購入を希望するという、ゆがんだ欲望が顕在化している今、何を語れるというのでしょうか

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実写地獄

 昔の番組データを集めていて分かったことがいくつか。

 放送やソフト化の機会もなく、今はそのチープさのみが抽出されて、無遠慮な笑いの対象になっている、実写の鉄腕アトム。資料を調べていくとフジテレビの開局番組として、「少年ジェット」と共に華々しいスタートなのでした。 昔「いきなり、フライデーナイト!」というフジの深夜番組中で、かなりレアな懐かし番組を放送していたのですが、なぜ「アトム」や「ジェット」をフルで放送できたのか、今になってやっと分かりました。

 制作は松崎プロダクション。主役のアトムが初期はプロテクターだったり、後期はジャケットだったりと迷走が続いたようですが、人気漫画をなんとかドラマ化しようとした努力は、興味深い物があります。 主題歌は名曲。

アトムコンピレーションに収録され、CDで発売されています。(上記の男性ボーカル版は、ソリッドの「ナショナルキッド~冒険活劇ヒーロー」にフィルム音源と思われるものが収録)   ソフト化されていないタイトルなので、かなうことなら一度見てみたい物です。

 で、フジテレビ番組の実写ということで、ドラゴンボール。半世紀たっても人間は同じ冒険をするのでした。

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RD-X7を買わない理由

 自慢じゃないですが、録画に関しちゃぁ、ちゃきちゃきの東芝っ子です。

 RD-X1、高かったですが頑張って買いました。

 RD-X3、譲り受けですが(操作系統が嫌いで嫌になった知人から)、一回ドライブ交換した上で、友人とこで現役活躍中です。愛用してました。

 RD-X5、2台購入で超録画体制。夢の新時代が訪れました。片方が基板ぶっ壊れで録画を壊滅させられましたが、調べてみたところ、HDDは生きていたことが分かったので、基板交換の選択肢を捨てた=録画放棄なので、東芝への怒りをマイナス5%ぐらいは補正してあげるほどの、東芝機スキーなわけです。95%呪われよ

 X5の代わりに買った、BDZ-A70はいまのとこ快適に使用しておりますが、RAM資産がある限りRD-X7購入はガチンコな訳です。ケース入りのDVD-RAM資産多すぎ。

 の割には、今、X7を買いたくない大きな理由が一つあるのです。

 DVDBBが無い。

 DVDBBというのはこちら参照

 要はダウンロード録画のことですが、DVDBB機が普及すれば、権利者直接還元できる録画のスキーム(枠組み)が出来上がるのです。

 録画者を泥棒扱いして、保証金やらカード発行手数料やらをがめつく取るような、自称権利者の言い分を蹴っ飛ばして、見たい作品作った人に直接還元できる素敵システム。

 今のところ、DVDのパッケージの販売ぐらいしかないようですが、これが放送と同時に配信という形態が出来上がったらどうでしょう。 地方格差も無くなり、全国均一に番組放送の恩恵が受けられるわけです。

 深夜アニメが地方で放送されない一番の理由は、制作委員会が放送枠を買ってないからで、枠買ってでも放送の価値のあるところにしか、アニメは流せないわけです。放送もない、レンタル屋もない(あっても入荷しない)地域の人達は、ゼロか、馬鹿高いDVDを買うかしかの二択しか無いわけです

 これはビジネスチャンスの喪失であるわけです。ネットのストリーム販売が間を埋めるかと思ってましたが、手元に残らない虚無感は大きいのです。ちょい見で手当たり次第という気にはなれない。私の経験だと、東映の「宇宙快速船」をちょっとした確認のため三回ぐらい視聴購入してますが、すげー損した気になってます。

 気軽に買える値段で、タイムラグのないか少ない、そのうえいつでも遡(さかのぼ)れるのは魅力的すぎます。そうなるためにもDVDBB機は是非とも広まらなければならない。

 この夢のDVDBBを、RD-X7が端(はな)っから搭載しません。とか言われたら買う気も起こりませんです。 

 (おまけ)

 デジタル放送著作権保護の新方針を今後1年で確定へ
-2011年には見直し後の運用ルールへ

 >「今の問題は、B-CASとスクランブル。今のエンフォースメントは破綻しており、実効性が現時点でないと思う」と問題を指摘。

>B-CASカードがないから緊急時に放送が見られないなどの例を挙げ、「情報の受信より、コンテンツ保護ルールを優先している。スクランブルは絶対にやめるべき」(河村委員)

>関係の皆さんだけで決めるのは問題。国民は選べず、買うしかない。過去に不買運動などで業界の皆さんと戦ったこともあるが、地デジについては、“見ない”という選択肢しかない。スクランブルは必要ない。外す方向で考えてほしい(長田委員)」

 >「今のB-CASの仕組みは破綻している。まずは、それが破綻しているということを書くべき」

 もううううううう、同意見過ぎて、コメントの書きようがありません。頑張って下さい。

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録画するのは泥棒ですか?

 私的録画保証金が必要

 私としては、権利者分配されるなら録画に対してお金が払われるのは、むしろ大賛成です。

 番組を録画することにより、「録画しましたよコード」が返信されて、作品の権利者にチャリンチャリンお金が入るなら良いことです。 期間を設けてその間に、消去してれば課金無しにして、消滅ポイントとして調整されるとかね。 1番組当たり10円ぐらいなら出しても良いです。1万セットで録画したら10万円、月間40万円。権利者の電気代ぐらいにはなります。

 すでに録画メディアにも保証金がのっけられていますが、このお金がどこに行くかというとテレビ局にまるっと入って、幹部の給料になるだけです。

著作権法第30条第1項

著作権の目的となっている著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするときは、(中略)その使用する者が複製することができる

著作権法第30条第2項

私的使用を目的として、デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器(中略)であって政令で定めるものにより、当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であって政令で定めるものに録音又は録画を行なう者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。

 要するに、

アナログは劣化録画だけど、

デジタルは販売品と同じになっちゃうから、

おかねくれよー

ってことです。 ここまでの言い分はOKです。 問題はこのお金が

 放送局とか、協会とかに分配されて、直接の制作者や、協会に関わっていない人間には一切還元されない、権力者丸儲けシステムということなのですよ。ここ参照

 金箱に丸ごと投げ入れて、おおざっぱに分配するシステムに何の意味がありましょうか。

 アニメのDVD買うのは直接の利益還元になるので、もっと積極的になる必要があります。われわれは好きなクリエイターを支援するためにも、可処分所得の可能な限りアイテムを買わなければいけません。

 クリエイターを救うのは、我々の銭であることをもっと自覚しなければならんのです。 

 そのためにも内容確認のための視聴として、テレビ録画は広く行われるべきだと思うのです。そしてコピーガードは撤廃して視聴範囲をもっと増やすべき。低画質の動画は「視聴メディア」として、フリーに近いほうがいい。 アニメの放送してない地域で、ソフトが全部馬鹿売れしてるとでも思ってるんすかね

 タダ見、タダ録画当然と思ってるお子様も多いですが、大人になってからそんな寝言は言わないで欲しいものです。社会に出ない子供なら仕方ありませんが、メシは勝手に湧いてきません。最初はニコニコやYoutubeで見たってかまわないのです。ただし、次は作品の消費者になって欲しい。

 私たちはタダで情報を欲しがるアニメ乞食、アニメ泥棒ではありません。

 そう、胸を張って言えるように、買えるものはちゃんと買いましょう。「オタク」と呼ばれる文化産業は、消費者すらも一体となった循環型生産システムだと思います。

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同じことをまた愚痴る

 去年からの宿題として、「特撮(実写ヒーロー)主題歌全集」の編纂があります。

 とりあえず同人誌で出して、それをベースに足りない情報を集め、間違いを補正しつつ最終版に結び続けるという遠大な計画で、CDを主体とした第一期の楽曲収集は完了しつつあります。

 「主題歌の歴史」という切り口は面白いと思うので、原稿書くのは苦にならなりません。基本の視聴はiTunesで、さすがに訴訟好きで○○なアメリカ人相手に戦ってきたソフトなので、いろいろあっても基本使いやすく快適です。

 一方でPCに収納した曲が SONYのソニックステージCPに関連づけられてると最悪。

 うっかりSSCPが立ち上がろうものなら、重い、検索しずらい、フォルダ単位で使えない、フリーズするで、ムカムカイライラします。

今日もこの腐れソフトのせいで、作業がパーになりました。呪われよ

 去年から次のバージョンアップで改修されると思っていましたが、未だに直っていないのです。PS3は頻繁に良アップデートを行うのに、ウォークマンは前世紀のような曲毎に指定して移す、楽曲ランチャーソフトが、メインの物として存在していることは信じがたいです。

 アップルiPodが口コミでシェアを伸ばしてる理由の半分近くが、SSCPが思い切り足をひっぱてるせいだと思います。

 買うなら、やっぱりiPod!

(おまけ)

絶対売れる新製品のアイデア思いついた。

製品名:ダレモキケル(仮)

種別:全年齢対応の携帯音楽プレイヤー

コンセプト:子供や、音楽鑑賞の機会がない高齢者向け音楽プレイヤー。

  • MP3、ACC音楽プレイヤー
  • 単三電池駆動。 充電型単三電池を本体にさしたまま充電可能。

特色

  • 各レコード、CDショップに専用データ入力機を設置(設置費数万円から)店頭にて直接プレイヤーに録音ができる。
  • 小さい音でも聞けるようにノイズキャンセリング装置搭載
  • アラート機能の装備、一定以上の音(クラクション、電話音、大声の注意)には音量を一時的にカットして、外部音声優先となる。
  • セットアップミュージック 購入時に数十曲を最初からリクエストしてセットアップできる。
  • 従来のプレイヤーと同様に、CDをPC経由で録音もできる。
  • オプションで補聴器モード。外部の音を一番聞きやすい周波数で聴ける。

 PCを基本使わないのと、ノイズキャンセラーのっけて、小さい音でも聞けるようにすることがメイン。価格帯は2万円弱ぐらい。 単三充電池使用で、旅行先でも市販品のアルカリ買えば使用可能。 旅先で聴きたい曲も追加可能。

 CDショップじゃなくても、入力機器はどこにでも置けるようにして、曲毎にメーカーと設置者に配当されるようにすればよし。

 一曲157円。メーカーに100円、設置者に50円 +消費税。

 店頭データ購入ができれぱ、iPod課金とか言う寝言も無くなると思うのですね。

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消費税を上げる前に

 消費税のアップは、直接消費行動に響くので、回避するのが原則でありましょう。消費社会に密接な人間としては、見過ごすことはできません。

 福祉の充実を図るなら、まずは宗教法人法を改正して、非課税枠の完全撤廃、さらにお金の流れを"誰にでも観閲できる"ようにするべきだと思うのです。

 宗教観は自由ですが、"死が訪れたら、何人たりとも受け入れる"宗教と"死んだら地獄に堕ちる"と脅して、個人が理解を深めて徳を積むことと、財産を捨てさせることを強引に同一視させ、個人の資産を収奪する宗教を一緒にしてはいかんと思うのです。それは宗教でなく脅迫ですから

 鎌倉が好きなので、暇があったらぷらぷら行ってますが、古刹(こさつ 由緒ある古いお寺)を拝観料でやっとこさ支えているようなとこと、教祖様の権威付けにお金をつぎ込むところが同じ扱いであってはいかんと思うのです。課税負担が増えますが、ちゃんと誠実な所には檀家、信者も増えると思います。

 宗教に取られるお金を、どんどこ消費に回すだけでも、景気は変わってくると思います。

 とかく宗教は、忍耐と我慢をもって徳を深める物ですが、それを悪用されてはいかんと思います。喜捨(要するに宗教団体に寄付)する前に、その団体の財務状況を確かめられるぐらいできても当然だと思うのです

 消費税アップの前に、権威威圧宗教から税金むしり取って下さい。 ちゃんとやってくれる議員には投票しますよ。

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遺言のこそう

 本来は楽しかるべき場所で、幼稚な思考と憂さ晴らしのために殺される。というのが、どうやら今の日本の現実のようです。

 そういった極端な例でなくても、事故病気など突然生命を奪われることは、充分想像に入れておく必要があります。

 そこで、万一のために、生前から意思表示して「ネット遺言」を残すのもアリではないかと思うのです。

 ネット遺言の基本ポリシーとしては、

・深刻な話は、ドン引きされるので書かない。
・個人情報(類推される物も含める)は書かない。
・感謝、恨みの言葉などは書かない。

 の三つ。意思表示であることのみに特化して、余計なことは書かないのが大事かと思います。早いと思われる頃からでも。死生観を持つことは必要だと思います。「死」の直前になって、「あの時死にものぐるいでやっときゃ良かった」と思っても、もう遅いので。なんとかできるウチは、自分にできることを。

 で、私の遺言。

1.パソコンは執筆中のものを待避させた後、木っ端みじんに破壊して下さい。 仕事関連の残す必要のある物は外付けで保管してあります。

2.遺品は、遺族には価値が分からないと思うので、しかるべき所に売却し、その費用を葬式などにあてて下さい。

3.できれば宇宙葬希望。どんなに時間がかかってもかまわないので、安価かつ安全にできるまで遺灰の一部は残しておいて下さい。

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俺の嫁ジェネレイター

今回は アダルトゲームの紹介なので、未成年の方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 俺の嫁ジェネレイターこと、「3Dカスタム少女」がなまらすごいという話を聞き付けて買ってみました。

 3Dポリゴンのキャラクターを自前でエディットできるのが特徴で、モーションのなかにエッチなのもありますよといった内容で、シナリオはまったくありません。

 自前編集なのでたまたまこんなのも作れたりするわけです。

2

 

Yoruda

 某手つなぎゲーっぽいものもでけた(笑)。(メーカーHPでは、既存名前の使用を禁じているようなので、わかっていても言わない、書かないのがお約束です) 

 真価は「なんちゃってキャラ」よりもよりフィーリングにマッチしたものが、作り上げられるかどうかにかかっています。体型がいじれないとか、いろいろと足りない部分も多いのですが、ツボにはっまちゃうと、もーたまらんわけですね。

 よくかき分けできていないキャラ絵をハンコ絵と呼んだりする人もいますが、キャラクターのパーツ変更による記号化というのは、意外にとんでもないものではないかと思うのでした。

 てなことで、うちの嫁w

Y01 Y02

Y06 Y04

いやいやいやいや、あーもう、なんか変なスイッチ入ってしまいますよこれは!個人的には初音ミクソフト以来の衝撃でございます。

 追加ディスクに激しく期待しますわー。

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R商法

 攻殻機動隊2.0で思い出した話があります。

 「この先、いずれ原作不足に陥るわけですが、どーすればいいんでしょうか?」 なんて話をちょっと前、某アニメ関係者の方がしてました。

 その時出たのは、R商法というのがよろしいのではないかという話。

 要するに一回作ったものに再度手直しして、もう一回再放送以上、新作未満で出すという話。とかく、後一歩残念作品にはことかかないわけで、これを何とか手直しするのもアリではないかと。

「DVDも売ったことですから、ファンに失礼でしょう」

 いや、最初から興味のない人は買ってないし、DVD買うほどのファンはむしろ喜びますから。

 意外に作った後はほったらかしで、自分の担当作を見返したことのない人間も多いのです。ソフトの価値を再認識するところから、始まる創作もあるのではないでしょうか。

 マクロスFの蔭で目立ちませんが、キスダムRも評判良いようです。

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秋葉原でできること

 AEDを寄付しよう という志は立派だと思います。

 しかし、こういうことになると話は別で、むしろ女装やエアガン持ち歩きを追放厳罰化する署名運動を、推し進める方が安心安全な秋葉原に繋がるのではないのでしょうか

 個々の趣味は尊重するべきですが、それは他人に開陳して回るものではありませんし、その趣味を持たない人間にとっては非情に不快な場合もあります。これは明白な迷惑行為です。

 こういうことも想像できないような、幼稚な判断で自己主張を通すなら、あの卑劣な通り魔犯人とやってることは同じじゃないのですか?

 私は、どこにあるかわからないAEDの設置よりも、応急処置講習会を無料で開く方が、即効性のある人命救助に役立つと考えます。アニメイトや、とらのあなとか、ソフマップにゲーマーズ等々が売り上げの何%かで、自店舗の前にAED設置を行いますというのなら、喜んで買い物に行きますが。

 応急措置の基礎知識 <是非とも見てください。

 秋葉原はいつから、あんな場所になったのでしょうか。

 マスコミの面白半分の取り上げ方も重要視すべき問題ですが、我々の意識の甘さこそが、悪化させた第一級の戦犯だったのかもしれません。

 こういうことを本気で言ってるなら(引用記事部分、レスは除く)、事態は思った以上に深刻です。

 歩行者天国というのは車両封鎖による歩行者専用道路を指します。歩行者専用でも道路交通法の適用外とはなりません。道路交通法を見てみましょう。

  第五章 道路の使用等

    第一節 道路における禁止行為等

第七十六条  
 何人も、信号機若しくは道路標識等又はこれらに類似する工作物若しくは物件をみだりに設置してはならない。
  何人も、信号機又は道路標識等の効用を妨げるような工作物又は物件を設置してはならない。
  何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。
   何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。
  道路において、酒に酔つて交通の妨害となるような程度にふらつくこと。
  道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。
  交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること。
  石、ガラスびん、金属片その他道路上の人若しくは車両等を損傷するおそれのある物件を投げ、又は発射すること。
  前号に掲げるもののほか、道路において進行中の車両等から物件を投げること。
  道路において進行中の自動車、トロリーバス又は路面電車に飛び乗り、若しくはこれらから飛び降り、又はこれらに外からつかまること。
  前各号に掲げるもののほか、道路又は交通の状況により、公安委員会が、道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれがあると認めて定めた行為

 要するにコスプレで練り歩くだけなら、100歩譲ってまあアリだとしても、立ち止まって撮影やダンスをし始めたら、交通妨害に該当し、道路交通法違反になると言えます。

 同時にこういう行為を発見した場合は、ただちに通報できます。客観的に見て目に余るパフォーマンスに対しては、個人であっても「道路の交通妨害、無断占有の通報」ということが可能です。常軌を逸した行動には、私刑や罵倒をするのではなく、静かに公務に任せたほうが良いでしょう。罵ったりすれば同罪です。

 「秋葉原を返せ」もなにも、最初から遊びの場では無かったのです。電車の中で騒いでいる子供と同じです。彼らを放置して甘やかしたことに対する責任も、我々の問題として感じる必要があると考えます

 

 また、ナイフの問題も真剣に考えるべきでしょう。ダガーナイフを禁止とは滑稽な限りです。愚策の典型と読んでも良いでしょう。

 ナイフファンの人なら、アウトドア、緊急時にいかに必要か、ナイフのプラス面も積極的に啓蒙するべきでしょう。そのうえでちゃんと銃刀法を知らしめて欲しいと思います。

(刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物の携帯の禁止) 

第二十二条  何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない。ただし、内閣府令で定めるところにより計つた刃体の長さが八センチメートル以下のはさみ若しくは折りたたみ式のナイフ又はこれらの刃物以外の刃物で、政令で定める種類又は形状のものについては、この限りでない。

罰則
第三十一条の十八  次の各号のいずれかに該当する者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する
  第二十二条の規定に違反した者
こちらがわかりやすいです。
銃刀法に関してはこちら
 
 要するに他人にナイフを見せた瞬間に即通報は可能なのです護身用は正当な理由になりません。警棒も武器携帯として扱われるそうなので、人混みのある場所で物騒なものは持ち歩かないことがなによりです。
 
 事件が起こった後の救急救命も大事ですが、なにか予知できそうなことには積極的に対応していくことが、未然に防ぐ一番の自衛になるのではないでしょうか。
 秋葉原がよくなるためには子供(年齢不問)を叱れる大人の街に脱皮することではないでしょうか。

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声優は作品を語るな?

 興味深い記事を見つけました。まずは元記事のヤングマガジン編集が声優批判 「演じたキャラについて原作者さながらのうのうと語りすぎる。調子に乗るな!」。(日刊スレッドガイドより)をご覧下さい。

 編集者氏、ファン側どちらの意見もよくわかります。中間に立つライター側としてはなんだか申し訳ない気分です。

 声優インタビューというのが一番やっかいなのです。

 アニメキャラは空想上のものなので、唯一の生身部分は声優(役者)さんです。ファンは声優にキャラクターを混在したイメージを投影します。

 これは、はっきり書いておきますが

 声優は生身のアニメキャラじゃありません。

 転じて、声優さん自身のファンになるのは喜ばしいことですが、混同意識を拡大させ、しまいにはストーカーになって、声優自身をノイローゼになるまで追い詰めた例もあります。

 アニメは最終形態を最初に見るのが視聴者です。声優諸氏は中途段階しか知りませんし、役を貰って自分なりの解釈しても、音響監督が駄目だししたらアウトです。ヘタすると自分の番組を見たこともない人間に「キャラクターとして語れ」という、オーダー自体が最初から無茶なのです。

 しかし、作品に関してのインタビューはファンの期待に応えなくてはいけません。サービス精神のある方ほど、よりキャラクターっぽいものを「台本無し」で語らねばならないので、インタビュー=アドリブ地獄でもあるのです。

「声優ごときが作品を語るな!」という風に受け止められる上記編集者氏のコメントは、声優さんにかわいそうです。

ですが、「知らないところで最もらしく話されたら困る」というのも正直な姿なのです。

だからといって、原作者や監督、脚本家がインタビュー台本書くわけにも行きません。

 そもそもが矛盾している力関係なので、言うだけ野暮なことをほじくり返さないで欲しいというのが私の意見です。

 余談ですが、声優さんの方が面白くてキャラが立っていた、という希有な例が「うたわれるものらじお」でした。演技もできる上に、本人が面白いということで柚木株が急上昇したのは言うまでもありません。

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渡り読書の薦め

 最近真夜中に、本持ってマクドナルドに出かけています。

 24時間オープン店が増えたので、100円のドリンク(プラスアルファ)で転々としつつ、主に図書館で借りた本を読破中。

 本を読むのもけっこう環境が大切で、私の場合はうるさくない、姿勢がきつくない、気が散らないなどの条件が必要なのです。ついネットが気になる自宅よりも、夜中のマクドナルドのほうが集中して読み込めます。

 周りで騒がれるとアウトですが、ノイズキャンセリングフォンとか、iPodとか持ってくとかなり素敵な読書空間に早変わり。

 積ん読という言葉あるぐらい、買っても読まない本がかなりあると思います。場所を変えたら意外と読みこめるものも多いので、「いつか読もう」の本持って出かけてみるというのはいかがでしょうか。

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アニメ雑誌を買わなくなった

 大人向けのアニメージュが出るそうです。創刊号から買っているストライク世代としては期待したいところです。

http://animeanime.jp/news/archives/2008/06/post_420.html

 2002年頃まではアニメージュとニュータイプはコンプリートしてましたが、最近はアニメ雑誌を買うことがめっきり減りました。

 買わなくなったのは2003年頃に引っ越ししてから"本の置き場が無くなった"ことも由来しますが、編集方針が合わなくなったこともあります。

  1. 流行ってる(流行らせたい)作品とのズレが大きい。
  2. 自社タイアップとヨイショ記事ばかりで特集がつまらなくなった。
  3. 情報を知りたいと思う作品は取り上げられないか、扱いが低い。

 原作物が増えたというのも一つの理由かもしれません。これは経験者の弁としてですが、原作ものは他社はNGになったり、作家さんとか編集さんとかの許可を必要とするので、結局は当たり障りのない凡庸記事になってしまうことがほとんどです。 オリジナルでもガンダムとかメジャー作品になるとこれまた制約が厳しくなって、扱いづらくなります。

 記事の内容にも書き辛さがあって、本来ライターとして取材して書くべき内容が、ほいほい制作者ブログに掲載されてしまうと、原稿価値はどんどんゼロに近くなっていきます。 あと、批判が一切不可というのもありますし、流行っているものの後追いではネットニュースにはかないません。

 昔は情報の供給源が、雑誌ぐらいしかなかったので、発売日を一日千秋の思いで待ち構えていました。アニメをムーブメントにしたのはアニメージュ、「作品」として扱ったのはアニメックが最初のような気がします。ニュータイプはグラビア主義で末端の拡大に貢献したと考えています。

 前期~中期のアニメックの読み応え、アニメージュのアニメ産業に関する啓蒙ぶりは目を見張るものがありました。

 それが1980年代後期からグラビア主義、キャラクターを愛するライト層に向けての部数拡大を打ち出したあたりから、中身がうすっぺらくなっていった気がします。元情報がアニメキャラなので、書き下ろしグラビアや、声優インタビュー、監督や脚本家に関するキャラ(に関する)インタビューがメインとなり、後で分かる情報を小出しにしたりとだんだんやれることが限られて来ました。

 キャラクターファンは、作品が終わればざっくりいなくなるので、次の作品に移ることはあまり期待できません。熱心になるほど一途になるので、その場(作品)から離れたくなくなるようです。

 キャラクターファンを尊重しても終わりがある。次々にシフトさせようにも交換サイクルが早すぎる。作品論で考えるファンにはそっぽを向かれる。某アニメ誌編集者によると「自分の仕事は、当たりそうな所にキャラ絵をぶつけること」だそうです。

 かといって人や作品論で取り扱うと、地味でつまらなくなる>部数が伸びない>続かない。という結果になります。

 アニメ雑誌が、新生して行くにはやはり取材力しかないと思うのです。私は種記事、見た記事という使い方をしてました。「種記事」というのは情報の核がしっかりしている記事、見た記事は表面的な情報のみをソースとしているもの。取材は雑誌という商品力を使って相手に切り込める武器の一つです。

 もし、自分がアニメ誌を任されたら、一番最初にやりたいのはブートキャンプの立ち上げです。学生や暇をもてあましてる人間はいくらでもいるので、「クオークエキスプレス」などを自腹購入した人間を対象に、徹底的なデザイン能力をたたき込んだ上で<企画、デザイン、取材、編集、執筆、ライティング、入稿>までを徹底させて、オールインワンでページ単価を下げて、その分多くのページを個人に幅広く持たせる。

 そのうえで<編集者>と<記事作家>として契約して、双方責任分担をさせた状態で、基本入稿料+印税といったスキームは組めないものでしょうか。

 要は「このキャラを見てくれ!」「この作品を見てくれ!」というマンパワー重視じゃないと良いものは出来ないと思うのです。

 統括デザイナーは必要としますが、今いるファンを拾い上げるだけではなく、ファンを核にして雪だるま式に増やしていけば、未来が見えてきそうな気がします。

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インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国

 インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国 ☆☆☆

 完成されたアクションと脚本のアドベンチャー大作なのですが、オチがトンデモじゃあなぁ。 評価は低いです。

 歴史には、ちゃんとした記録のあるもの>状況証拠から積み重ねられたもの、と どんどん確度が低くなってしまい、最後には 歴史家の空想、只の妄想レベルとグダグダになっていくわけです。

 スターウォーズのために神話を研究したルーカスや、歴史物を手がけたスピルバーグが、あえて超自然とのシンクロさせたら面白いと思った気持ちは分からないではありませんが、考え過ぎちゃって素人の妄想と同じものになってしまったのがこの映画の敗因かもしれません。

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モラルのない秋葉原

 先日秋葉原の事件現場に手をあわせに行ってきました。

 中央通りに足を踏み入れたあたりから、気分が重苦しくなります。

 献花台を訪れるマスコミは相変わらずいました。それこそ社員の下(命令)で現場にやって来ている方も多いので、八つ当たり気味に報道批判は始めませんが、いい気分でないことは確かです。

 それよりもマスコミ以外も、充分醜悪でした。

 報道でも何でもない人間(雰囲気で分かります)が、大きなカメラを持って立ち止まりずっと献花台の写真や、手を合わせてる人の写真を撮っている。雑談しながら携帯カメラで撮っていく人間がかなりいました。

 新しい観光スポットだと思ってるんでしょうか。

 怒りを禁じ得ません。

 マスコミは秋葉原の服喪という画を取りに、こぞってやってきてます、今度の土日はひどいことになるでしょう。そこには「カメラを構える他人事のようなオタク達」という画を取りに来る人間が必ずいるでしょう。

 事件を忘れないためにも、今の秋葉原を写真に納めておくというのも、事件を風化させないために大切なことです。ですが、その気持ちは写真には写らず「イベントのようにしかみれないオタク達」という画にされてしまいます。

 今回の事件は(繰り返しで恐縮ですが)、自称弱者が、八つ当たりのために弱者を襲った卑劣な犯行です。

 同じことを報道という名でマスコミがメディアの力でオタクをさらしあげて、 我々はそのマスコミ批判をしているくせに、遺族に無遠慮なことをやっているのではないでしょうか

故人の遺族や、被害者の方ならともかく、赤の他人が、追悼にふさわしくない行動を、オリジナルの弔いであると言っても、それは遺族や被害者感情を逆なでするだけです。

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無職のオタク人材活用論

 ニートや無職をもっと人的資源として、活用できないでしょうか

 久米田康治さんが『絶望先生』のネタとして在宅品質管理人という言葉を使っていましたが、私はここに将来があるような気がしてならないのです。

 要するにセイフティネットの薄さが、刹那的な行動に駆り立てたり、無気力、はては生活基盤の薄さから結婚に消極的であると言うことに繋がると思うのです。

 そこで、社外モニターが利用できないかと思うのです。品質管理のアウトソーシング(社外委託)とでも言いましょうか、「感想レポートを投稿すれば、現金化される」というシステムです。

  1. 個人はひいきのメーカー等の品質レポーター登録をする。
  2. 製品、作品毎にレポートを提出する
  3. 提出毎にレポート料が振り込まれる。

 なんで、こういう話が出てくるかというと、某作家さんから、「作品評は2ちゃんやブログ頼み」なんていう話を聞いて、それなら感想専門に人を雇えばいいじゃないかと思ったのが始まりです。

 例えばアニメの場合、1レポート100円として、1000人品質レポーターを公募しても10万円ぐらいなので、ひねり出せない数字ではありません。(振り込み手数料はまとめて払いで)

 レポートにはゲートを設けて、コピペやあまり意味のないレポートを書く人間はばんばん落としていけば、かなり精度の高い情報を直接得ることができます。 1000人の活きた感想、これがどれだけ価値があるかは、業界人なら痛いほど分かるものと思います。

 本来はアンケートがこれに該当するものだったですが、切手を貼るという習慣が無くなってきていること、プレゼント目当てなので基本若年層からしか情報が集められないなど、時代遅れになってきていると思うのです。

 眼を向けてみれば、いくらでも感想レポートを書いてくれそうな人的資源はごろごろごろごろごろごろごろいる訳です。レポート費はかかりますが公式HPにぶら下げるだけで始められます。これは大金脈を見逃していると言うことにならんでしょうか

 こういうレポートが普及することにより、無職という負い目を無くすこと、品質に関して客観視できる能力が育つこと。そしてなにより、一日かけて100円にしかならないレポートよりかは、実体的アルバイトのほうが遙かにお金になると言う、労働意識改革になると思うのです。

 どんなに細く、些細でもお金を稼いでいるという気分がある限り、ゼロの無価値にはならないと思うのです。これだけでは喰っていけませんが、これから立ち上がるために必要な始まりにはなれるのではないでしょうか。あと老後の小遣い稼ぎにも良いでしょう。

 個々の品質も上がれば、ビジネスチャンスも増えます。使える人間を無意味にほっといてはいかんと思います。

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肥大化した自己のはけ口

 最近、肥大化する自己意識というテーマを研究しています。

 私は、雷句誠さんの立場を支持しますが、同時にマンガ家側の意識改革も必要だと考えています。

 モンスターペアレンツという言葉を最近よく聞きます。教師をやっている友人からは、いかに非常識な親がいるかをよく聞かされます。

 作家である側もモンスターと化してはいませんか?

 モンスターマンガ家、モンスター作家などと蔭で呼ばれているかもしれません。 知ってる話で有名なのが、当時人気最高潮(から落ち気味)の某作家弁当事件。

 担当は作家宅に伺う度に高級料亭の弁当を持参するというルールが出来上がっていたらしく、これを「食事の手配ができないから忙しい」からと思った人間が、ほかほか弁当を買って持って行ったら激怒した。という話です。

 人気のある作家に大してなので尾ひれの付いた話と思ってますが、さもありなんと思わせるぐらい日常茶飯事です。約束を守らない、嘘をつく、責任転嫁をする、逃げる。といった失格人間の作家は山のように知ってるので(というか、一部の善人作家とよばれる人以外は、ほぼ全員大なり小なり該当しています)、モンスター化してる自覚もないのもどうかと思うのです。軽微なところは打合せ時のお使いに始まり、果ては「アイデアのでないのはお前が気に入らないせいだ!」とか怒鳴られる編集氏もたまったものじゃないでしょう。

 作家は「自分は必要とされている」というガラスのプライドで土台を支えているので、必要とされている証は、あればあるほど自信につながりますので、何とも言えない部分もあります。

 一方で、雷句氏や松永氏、新條氏のの語られる編集者氏には「作家の生殺与奪の権利を持つ」という会社の威光を自分の力と勘違いしたモンスター編集者の姿が見えます。 実際にそういう会社の権威とかをすぐに持ち出す人間も知ってるので、被害妄想が生み出した人物像とは私には思えません。

 双方とも、客観視を失っていては、歩み寄りは望めないのではないでしょうか。

 秋葉原で事件を起こした卑怯な男も、通り魔事件や一般犯罪に至るまで、あらゆる事件の根底には、肥大化した自己から自分を抑圧した物に対する腹いせや、自分の正当化があるように思えます。

 モンスター化している自分を見つめる能力が育たない限り、あつれきは永久に解消されないのではないのでしょうか。

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映画評

今回は☆☆☆☆☆(最高5点)評価で

:ラスベガスをぶっつぶせ! ☆☆☆☆

 MITの学生が、「カウンティング」という方法でラスベガスで荒稼ぎするというお話。「カウンティング」というのは偵察役が配られたカードを記憶し(この段階で物覚えの悪いヒトにはムリ)複数対カードディーラーで勝負するやり方。インチキではないけど、勝率が変わるうえに、カジノ側ではなかなか把握できないので劇中では容赦なくボコられています。

 「勝負か/引きか」「逆転のスリル」という賭博物の醍醐味が詰まっている映画なのでお薦めなのですが、ブラックジャックをよくやる人なら倍楽しめると思います。

 知的なアドベンチャー映画というジャンルでしょうか。

:ランボー 最後の戦場 ☆☆☆☆

 なんというか、ハリウッド映画らしいという印象。耐えて耐えて爆発するのは健さん映画風なので嫌いではありませんが。

 クライマックスになるとそれまでの重さが消え、急に虐殺エンタテインメントになる訳です。物語はずっと「かわいそうな世界の人」「殺されても良い世界の人」を描くために使われていて、ヒーローランボーがそのエネルギーを爆発させることで観客の憂鬱さが一気に解消されます。

 監督兼のスタローンが描きたかったのは、むしろ憂鬱なほうで、「民族浄化」という名聞の元に行われる「虐殺」「強姦」「略奪」を、飛び散る肉片、腐った死体、兵士達の嘲笑で、観客に刻みつけいるような気がします。

 表面的な物語は、「白人がキリスト教を信じている民族を助けに行って、それが捕まって、さらに傭兵達が助けに行く」といった、「キリスト教を信じるのは良い未開人」「悪い未開人には(先進の)武器をもって思い知らせる」といった、西欧人らしい思想に基づいたプロパガンダ映画といえます。

 しかし、映像の力で人の考えを変えようとする、映画人としてのスタローンのエネルギーは、矮小化されてはいけないと思いますし、その決断には深く敬意をあらわしたいと思います。多分、映画の本当のテーマは「そこ(現実)にはランボーはいない」なのでしょう。

:神様のパズル ☆☆☆☆☆     (純粋な映画評としては☆☆☆くらい)

 SFファンが喜びそうな青春映画。原作の大幅な改変もあり、三池監督らしいしっちゃかめっちゃかな映画に仕上がっているので、普通の映画と思うときっと賛否両論かも。「ああ、三池監督らしいや」ですますことができるなら勝ち組。

 この映画のキモは

 谷村美月さん演じるところの、美少女天才物理学者

 (マッドサイエンティスト風味)

 を鑑賞するところにあるので、かって薬師丸ひろ子さんや、原田知世さんを目当てにせっせと映画館に足を運んだ、青春角川映画の系譜は見事に引き継いでいるのではないかと思うのです。 役者が輝く映画は良い映画。もう、細かいことは気にしない、ヤボなことは言いっこ無し。

 原作から、主要要素だけうまく引っこ抜いてきた、眼力の確かさには敬服いたします。あと超巨大加速器のビジュアルに個人的大歓喜。

 悪いことはいわないから、とりあえず観にいくべし。

:アフタースクール ☆☆☆☆☆

 評判の高かった映画なので、事前情報シャットアウトして観に行きましたが、これが大正解。

 シナリオ(物語力)対観客のガチンコ一本勝負なので、勝った、負けたはご自分の目で確かめてください。

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秋葉原の事件とモラルハザード

 マスコミ報道を見て思うのですが、

 死者の追悼の後には、おもしろおかしく視聴者読者の興味を引く報道という名の推測をばらまきます

<事件発生><事件報道><推測報道>~新しい事件にスイッチ。を繰り返しています。

 本当に事件を考えたいなら、犯人が冷静になってから、パニックから醒めた後のほうが事件は明確さを持ちますが、その時は推測や憶測が撒き散らかされた後なのです。

 ひどい言葉なのを承知で使います。

 視聴率(部数)乞食

 秋葉原は視聴率をあさる場になりました。関連 桃井はるこさんのブログ

 事件の客観性を欠き、一点の手がかりを全体であるように見せかけ、事件事故を誇張してニュースに仕立て上げる。それをモラルハザードと言わずになんと呼ぶのでしょうか。

 犯人はオタクだった、ナイフマニアだ、エリートコースが脱落した、格差社会の被害者だ、視聴者(読者)が望む真実に対し、よりもっともらしいことをこじつけたもの勝ちであり、それが真実であるかはどうでもいいのです

 それでいて、犯人が手がけたであろうトヨタ車のことはおくびにも出さない。仮に事件の根源がトヨタの合理化にあったのなら、即座にこのニュースから手を引くか、別の要因捜しに必死になることでしょう。

 どんな理由があろうと、自称社会的弱者が、さらに弱者(交通弱者、武器を持たぬ者)を殺傷したことは明白です。

 その原因が、もしテレビや雑誌で見た秋葉原報道であるならどうでしょうか、それがどんなに真実に近くても、報道が無かったことにすれば、モラル以前の問題だと思います。

 もう一つ

 予想通り歩行者天国の中止が検討されています。

 頼むから、ぼくらの歩行者天国を守れ などと馬鹿げたことは言い出さないで欲しい

 警察が恐れているのは、TVを見た模倣犯の発生であると考えますし、ましてや人が死んだ現場やその近くでへらへら笑って、いつものアキバを謳歌することが、死者への追悼などと言う、たわけた言葉は聞きたくもありません。

 私は中止を全面的に支持します。 ただ、無くさないで欲しい。それだけです。

 幼稚な警察批判を始める前に、まずは警察警備のことをよく考えて欲しいと思います。正直なところ、「あんな凄惨な事件後でも女装男がアニメダンスしているような街は守りたくない」と言われれば、ぐうの音も出ません。

 自分だけは特別という、モラルの希薄さが横行するようなら、そこに守るべき街の価値は無いと思います。

 

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死を共通のものと思って欲しい

 秋葉原の事件には胸が痛みます。

 事件に関しては、私のような者が知ったかぶりをして語れるようなレベルではありません。ある人間の生い立ち、環境からゆがみが生じて、日曜日の待ちを楽しみに来た人間が傷つけられ、苦しみと共に唐突に人生を絶たれました。

 私の知人誰もが自分も巻き込まれていたかもしれない。という話をしています。私も同様です。

 もし、あの現場にいたら。

 震えを押さえて勇敢にたちむかったでしょうか?

 格闘技経験者が、ナイフをたたき落とし、即座に押さえつける奇蹟は起きませんでした。

 老人や女性や、逃げ遅れたと思う人達が次々に、車にはねられ、ナイフを突き刺されました。

 私には、「死んでいたのは自分や、友人であったかもしれない」という気持ちを持ち、犠牲者を追悼することしかできません。

 趣味は尊重するのが私の信条ですが、もはやナイフに対する理解はなくなりました。特に対人ナイフと呼んでも差し支えないもの、堅さ、重さ、鋭利さをもち短時間に何人も殺傷したナイフを販売した業者、許した法を強く憎みます。

 今日明日でなくても、いつでもかまわないので、現場に行ったときにには手を合わせて、冥福を祈って欲しいと思います。 その無念さを忘れないことが大事であると考えます。

 そして、果敢に立ち向かった警官達に感謝を。

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雷句・シンドローム

 新條まゆさんのところも・・・・

さて、いよいよ業務が動き始める週明けです。

 雷句氏の告発が週末にあったわけです。 今週、物事は沈静化するかもしれませんが、巨大地震ぐらいのパニックに襲われる可能性もあると見ています。

 ひとつは、原稿料問題。

 第一線級の作家が原稿料を開かしたので、相対的に自分は「上に見られているか」「下に見られているか」が明白になります。新人~中堅はさておき、雑誌の看板作家クラスは穏やかではいられません。雷句氏や松永氏が危惧してるのは、「アニメ化されてもこの程度です」と判断基準にされてしまうことでしょう。新人なみの原稿料のまま据え置かれている作家なら、勇気を出して値上げ交渉に臨むかもしれませんが、雑誌予算は有限です。 部数落ち込みで値上げ交渉されてもない袖は振れません。 だからといって貢献が評価されないでは、極端なモチベーション低下に繋がります。

 竹熊氏の著述によると「バブル期に値上げしなかったのが、現在も雑誌が出続ける要因」であると考察されています。 私も同意見で、最初に予算が決まっている以上「反則技を使ってもやりくりする」のが出版側の責任です。少々ムリを飲ませても、単行本収入があるから、作家は努力に応じたリターンがあるというのが、今までの根底でしたが、出版部数がみるみる落ち込んでいる昨今、そういったトリック技も通用しなくなってきています。

 今後、編集部との関係をすでにこじらせている作家が、大量離脱して行くこともあるかもしれません。

 もう一つは原稿返却問題。

 雷句氏のカラー紛失ですが、私は小学館か印刷所の倉庫に、必ずあるのではないかと考えています

 じゃ、なぜ返さないのか? それこそイヤガラセじゃないのか?

 違います。たぶん高確率で探すのが面倒くさいからだと思います。白黒原稿はある程度まとめて保管できるため捜索も用意ですが、カラー原稿は単品でまとめて収められます。サイズもマチマチなので、「カラーのあるどこか」とか、「他人のカラー原稿と一緒にしちゃった」、などが考えられます。そうなると一人の原稿を探すために全社員総出で探さねばならないので、費用対効果で言えば 無くしたことにして予備費から謝罪金を出すのが一番賢いやり方になります。

 一度ない、といったものを後から出すのもかっこ悪いですが、ずさんな管理で汚したり、折れ曲がっていたりしたら、芸術的価値を損なったことには変わりありません。もう出すに出せなくなります。

 出版社側は、作家の原稿返却要求におびえていると思います。探す手間もあるでしょうが、必ず紛失分が出てきます。 手癖が悪い社員やバイトが持ち出したものもあるでしょうが、他人の原稿と一緒にした物は余所の手に渡るので絶対に出てきません。

 返却や、紛失交渉には莫大な予算がかかります。

 結果、利益がなくなり、雑誌が潰れて、単行本が高くなる、という大地殻変動が起きてしまうのです。

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編集者とマンガ家

 先日のエントリーの続き

  島国大和さんとこ経由で邪宗まんが道という松永豊和氏の作品を知りました。ある意味生血で書いたような内容なので是非、ご一読を。

  編集側の弁明するとすれば、編集者と作家の関係は「友人以上に同士としての繋がり深く、結果を出すためには、ドライに接しなければならない」という何とも矛盾した関係にあります。友人同士ですらささいなことでケンカ別れすることが多いのに、これを業務でやるストレスは尋常ではありません。

 問題の根源点としては、「作家の力が強いほど、編集者は誰でも良い、お使い坊主になり、実績を残せなくなる」という所でしょう。どこまで創作に踏み込んで良いかは流動的ですし、踏み込む度合いを誤れば結果はご覧の通り破滅です。

 作家は基本「誉められて伸びる子」体質である。 と私は考えています。

 故に「ここはダメだ」というととたんに気むずかしくなります。そこで、どうすれば良くなるか一生懸命に考えるのがプロだと思ってます。

 「ここはダメだ」と言ったら、急に編集長に電話をかけてきて、「あの人はボクを分かっていないので担当を変えてください!」と言ってくる例もよく聴きます。クレーム一切拒否型の作家でも、人気があるなら出版側は手放したくないために言うことを聞きますが、これは本人の資質次第なので、アイデアが枯渇したら面倒見て貰うこともなく捨てられるパターンがほとんどです。

 最悪なのは、編集側も分かっていないパターンで「面白くないから書き直せ」が良くなる魔法の言葉だと思ってる人です。

 言うまでもなく、自分の問題点を必死になって考えて、よりよいモノを提案するのが本当のプロの仕事です。しかし、双方で面白いと思うものが違っているなら書き直すだけ駄作になります。ほとんどの場合が面白いと思うことに自信が持てなくなりヒット作に迎合していきます。世間が認めた正解なのですから、文句は言えなくなるという流れです。もしくは、かたくなに自分の殻を閉じるかでしょう。

 編集側に必要なのは、たったひとつのステップ

「このアイデアの話をしようか」

です。どういう意図であったかを聴いて、それを否定することなく、作家が面白いと思ったことの土台を活かすことが、単純にして最短の矯正法だと私は思ってます。マーケッティングに関わる人なら「ノーと言わない企画検討」がどれほど重要か分かっているかと思いますが、出版界はまだまだ旧態然としています。

 全部のアイデアをプラス思考で見直そう! は理想論です。ですが、吟味する時間もないからという理由で、最初からあきらめるのは怠慢であると私は考えます。

 作家側の魅力は賞味期限があります。特にアイデア面では素人同然のところに、急にプロの流れに載せられます。マイナス面を矯正し、プラス面を伸ばすことが必要なのです。ここにプラス、マイナスの分からない人間が、編集者側でやってくることが、悲劇のはじまりとも言えるのではないでしょうか。

うそ誉めせずに的確に付いてくる編集者がいれば理想的なのですが。

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雷句誠さんの告発

まずはこちらを
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html

どんどん仕事をしなくなる編集者さんとか、
最初から仕事しない編集者さんとか、
いろいろ知ってますが、最初っから怒らせる編集者というのは論外です。

 今現在も「仕事」してるマンガ家は絶対に言い出せないことなので、雷句さんの行動には、日本中のマンガ家が注目していることかと思います。

 ですが、社側で綱紀粛正しようにも、業務上落ち度になるとは思えないのです。

 マンガ家氏達もまた始末に負えないほど気むずかしいので、最初に愛想を尽かした編集者が後続を適当にあしらうように教育して、双方不満の増幅がこのような結果になったのではないでしょうか。

 ここで提案したいのが、最近一部で行われている、学校の先生採点みたいに、直接社の幹部に「仕事として、つきあえるか否か」のパートナーシップレポートを提出できるようにすればいいと思うのです。どんなに担当に文句を言っても、その上には絶対報告しません。民間企業では、一消費者の声を社長室に届ける制度を設けているぐらいですから、直接社員のあり方を問うたほうが早いと思います。費用はアンケートを直接ダイレクトメールか、メール配信なので取っても安上がりです。数日中に簡単にできることです。

 気持ちよく仕事ができて、作品が面白くなれば社にとっても利益です。こういう制度を全作家が望んでいるのではないでしょうか。

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【訃報】野田 昌宏

 SFファンにはお馴染みの大元帥こと野田昌宏氏が星の海に旅立たれました。

 若かりし頃にSF英雄群像とキャプテン・フューチャーに出会ったことは、生涯の宝としてきっと忘れないでしょう。

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ネットの右左

 ここしばらく気が向いたので、アジア近代史をいろいろと調べていました。

 そこで、何となく違和感を持つようになったのがニュースサイトでの韓国ニュースの取り扱い方。ほとんどが中韓の日本に対するニュース(おおむね要求と、自画自賛)をおもしろおかしくとりあげたものです。本人は気にしていなくてもネットウヨなんて言われ方もしてます。

 ここで、ちょっとだけ考えて欲しいのが、「恨みの根源」です。先日の野犬のたとえなら、韓国は瀕死になるまでのど笛を食いちぎり、中国に至っては片脚一本もぎ取ったぐらいにことは確かにやってる訳です。台湾、インドネシアなどが親日寄りなのは「狼よりマシだった」という感情でしょう。

 死ぬ寸前まで追い込まれたものが、「加害者側の理屈」に耳を貸すものでしょうか?ましてや加害者が「改心しました」と言っても、一切信用しないのが中韓の民族感情でしょう。

 いくら謝罪しても足りない というのが本心であろうし、そこを利用して「外敵」を必要とするのは、その国の政治そのものであるし、「子」、「孫」にまで責任を追及し、復讐を果たそうとするのは、もはや野蛮であると私は考えます。

 20世紀初頭、近代国家においては、万国法に則った交渉、戦争による領土拡大外交は当然の権利ですし、共産主義の南下のために、いずれは日本も戦争に巻き込まれていたことは明白なので、防衛上必要であったことを無視して、我らは永遠に謝罪すべき加害者である と、いたずらに説く気もありません。

 ただ、「被害者と加害者」 という側面は存在し続けるので、ここに無神経になっていいものとは思えないのです。

 歴史の重みを直視できずに、自分の侵略は良い侵略とうそぶくのは、結局どこも同じなので、そこで停まるか、新たに視野を開くかは個人の決断によるのではないでしょうか。

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オタクになりたい5 ニュースサイト活用論

 最近、ちょいと考えているのが、

 日本のオタクはコミケとニュースサイトが支えている説。

 コミケ(同人イベント全般)が、創作に触れる初期段階として機能している。 というのは現在の状況を見るに、おおむね間違いは無いと思います。これは創作(送り出し)側のファーストステップ。

 ほいでは、受け手側のファーストステップは何かというと、「連続してみること」「雑誌を買い始めること」だとずっと定義していたのですが、どうやら、もう一つのステップとして「ニュースサイトをチェックする」というものが機能しているのではないかと思うのです。

 ここで定義として

 オタクはすべてを知るからオタクである。

というのは誤解ではないか?

 オタクはすべてを知る必要はない。好奇心のみがその核である。

 とするのが妥当ではないかと思うのです。

「僕はガン(ダム)オタでーす」みたいな若い衆に「では、ガンダムの星山脚本と山本脚本の物語の相違について語ろうか」とか言ってもポカーンとされるだけですし、「では、逆にガンダムのバージョン・カトキの発表時期と、プラモデルデザインの変遷について語りましょうか」とか返されても、完全にお手上げでバンザイするしかないわけです。

 重要なのは「ある段階で知識の差をもって、薄い/濃い、 知ってる/知ってない」で判定しても無意味と言うことです。 初期ガンダムを知らなくたって、DVD借りてくれば見れますし、プラモデルデザインの変遷ならサイトを調べたり、古本屋で探せば一週間以内に対等なレベルまで持っていけることは可能です。

 ここからはただの愚痴ですが いままで、どれだけ「知ってる」人間から、「知らないこと」をさげすまれたことか。 オタクが非オタを馬鹿にする姿を醜悪であると感じているので「俺は、あなたとは違い、知らないことを教える人間になる」と心に誓ったのでした。知ってるだけで、自慢になるか!  

 あ、はい冷静に戻ります。

 要するに情報源が限られていた時代とは違い、現在では知識差は絶対ではない と言いたいのです。 

 これを前提にすれば「オタクになりたい」で、まずは勉強ありきは、あまり重要ではないと言うことになります。対等に話すなら知識差の穴埋めは重要ですが、他人の知識量に対しとやかく言っても無意味です。

 そこで話は戻ってニュースサイトが出てきます。 ニュースサイトというのは雑多な情報を個人の価値観でフィルタリングして毎日のように更新しているものを指します。

 それを毎日観覧して、自分の感性にあったものを見つけて、知らなければ調べていく という過程の反復だけで充分だと思うのです。

 私の見てる限りですが

  • 親ニュース 情報源から直接拾い出す
  • 子ニュース 親ニュースから選択する
  • 孫ニュース フィルタリングされた子ニュースから拾い出す

 といった感じで情報が伝播していきます。親から孫までの総アクセスを考えると数万単位。情報の拡散共有としては充分な量でしょう。

 ネットで流行ってる。を知ってるだけでも ハタから見ればまんまオタクです。 ニュースの中でも価値の高いものは、爆発的に情報量が増えていくので、それを最初から目撃してると言うだけでもすごいことだと思うのでした。

 ニュースサイト論に関してはまた後日。

 

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謎が解けたぁぁ!!

 最近聴いたイギリスの歴史研究家による、大東亜戦争のたとえ話があります。

曰く

「昭和初期までの日本は、例えて言うなら野犬である。 牧場の中の羊や鶏を狼が勝手気ままに食い荒らしていた。野犬はそれを見て同じように食い荒らした。

 ある日、狼は群れをなして襲いかかってきた。野犬は只一匹で狼たちと戦ったが、ついには敗れてしまった。だが、狼たちも戦いに疲れてしまった。羊や鶏は暴れだして疲れた狼には手が負えなくなった。結果、牧場から狼がいなくなった。

 羊や鶏は野犬には感謝しない

 狼たちも、狼のように戦えると思った野犬を馬鹿にするだろう

 ただ、牧場主だけは、牧場を守る飼い犬のように振る舞った野犬に、少しばかりの感謝をするかもしれない」

 なるほど、西洋的な日本史観とはこういうものかと思って聴いていたのですが、おや・・・・まてよ。 何か聞き覚えがある気がする

 えーと

 あれは

 トラウマアニメとして有名な・・・・・

 アンパンマンで有名な、やなせたかし先生の・・・・

 『チリンの鈴』だ!

goo映画より引用

 小さな牧場で生まれた白くかわいい小羊は首につけた鈴の音から、チリンと呼ばれていた。羊達は平和で静かな生活を続けていたが、ある日血に飢えた狼ウォーに襲撃され、チリンの父母を含め牧場の羊達はことごとく殺されてしまう。生き残ったチリンは、復讐の念に燃えた。そしてウォーに近づき、強い動物になるための訓練を重ねる。時が経ち、再びウォーが牧場を襲ったが、その前に敢然とチリンが立ちふさがる。激しい格闘のすえ、チリンは、復讐を遂げた。そして、もう一度緑の牧場で仲間達と一緒に暮したいと思ったが、変身したチリンを仲間達はだれも受け入れようとはしなかった。独りになったチリンは山へ帰っていった。その後、谷間にチリンの鈴がかすかに聞こえはしたが、それっきり、チリンの姿を見たものはいなかった。

 ずいぶんと変な話だと思っていましたが、今こそ合点がいきました!狼の名は「ウォー(WAR)」、もはや間違いないでしょう。チリンとは日本人のことでしたか。

 40もすぎて今になって気がつくとは!

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星の海のアムリ

 DVDレンタルで「星の海のアムリ」を鑑賞。

 PCゲームにおいて、3DCGのキャラクター作りで定評であるMA @YA氏を起用したのはなかなかの慧眼(けいがん)だとは思うのですが、SFっぽい未来設定にイマ風、ゴスロリ風キャラというのはミスマッチ。

 そのミスマッチ感を「面白い!」と思えるなら、SFとファンシーなものを鍋に入れてゴタゴタに煮込んだアムリは楽しめると思います。プラス、ガオガイガーと萌え風味。

 やってることが斬新すぎると、理解力が追いつかなくて「理解できない=つまらない」とシャットアウトしそうになりますが、じっくりと「アダプター」などの固有設定を咀嚼(そしゃく)すれば楽しめるのではないかと思います。

 米たに監督というと、奇想監督というイメージがあるのですが、ファンシーの仮面をどこまでかぶってられるのか心配期待です。 

 先生!宇宙キスは歯がぶつかって血まみれになると思います!

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鷹の爪THE MOVIE II 私の愛した黒烏龍茶

 黒烏龍茶を観に行ってきました。

 鷹の爪と前作の映画を見ていたらお薦めですが、初心者でも充分面白いコメディになっていたと思います。レンタルで前作借りて観に行くのがお薦め。

 今回も「低予算」と「島根」ネタが大好きのようです。「ああ、すごいことをやったので、どんどん予算がなくなっていく!」というのは業界人なら爆笑ネタなので、これだけでも充分見に行く価値があります。あと予算の無駄遣いギャグもめちゃめちゃツボでした。 

 最近何故か、島根と鳥取どっちがどっちネタをよく見るので、着実に島根がメジャーになっている気もします。

 たまたまなのですが、オールナイトの映画に行くときのガソリン価格が154円で、帰りには170円に値上がりしてたので、ハゲタカが日本を買い占めて値段をつり上げて、みんなが悲惨になる という基本のストーリーが、シャレにならないくらいリアルなのでした。

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