オタクと経済
オタクを「好嫌主導型価値感主義(こうけんしゅどうがたかちかんしゅぎ)」と定義してみましょう。
オタクの価値観は4段階に別れます。
- 好き
- 関心
- 無関心
- 嫌い
の四つです。基本は好き嫌いで、これに無関心の度合いが間に挟まります。
単純に言うと「好きなもので幸福感を得ること」。普段の生活が好嫌を言ってる場合ではない状態では、オタクというものは育ちません。 嗜好を良いものと思わない文化圏ではなかなか育成されないものです。~厳しい戒律のある宗教文化圏など。
好嫌が価値基準になってくる。 これは全体にも関わることで、例えば嫌いな人間などがいたら、それを排除することで価値観を防衛するようになります。いじめ問題や家庭内の不和もまたしかり。嫌いが許容できないというのは強いマイナス面も内包しています。
上位の「好き」にマークされると、財布がゆるくなります。金銭により幸福感を交換するので資本主義形成としては、重大な役どころにあることは注目すべきかと思います。お金を使えば幸せになれる。この原則には誰よりもバッチリはまっているのです。
「関心」もマークされると、消費行動が動きます。例えばアイテムコレクションなど、少々「好き」から脱していても購入対象にカウントされます。
「好き」と「関心」、この二つは満足感によって決定されます。本能的な「性属」が一番わかりやすい満足感で、 ・・・えーと 下品な話ですみません ・・・要するにオナニーの対象となれば最上位の価値観を持ってるわけです。はい
次に満足感の基準として、「エンタテインメント属」が来ます。「面白いor楽しい」です。日本の文化史をひもとくと、天下太平の江戸時代、特に江戸はエンタテインメントの世界であったと言ってもいいらしく、「おもしろき」を価値観とする民族性はすでに確立されていたのではと考えます。
経済で考えるなら「お金の使い先がある」ことは重要です。
「性的なもの」「面白いもの」を二大基準とするなら、同人誌文化というのはまさにプリミティブ(原初的)な消費活動であって、実はここに文化形成の中心点があるのではないかと思います。 逆の視点、「提供する側」にとっても極限まで低いハードルではじめられることも重要視すべきでしょう。
「価値の満足感」このポイントをいかに押さえるか、うまく拡大化していくかが今後の課題ではないかと考えています。
経済論で言えば社会に不安を覚えれば、将来のために備蓄をはじめるために、経済の動きが弱くなり不況に繋がります。
「アリとキリギリス」でアリを美徳する日本人にとっては浪費するキリギリスは、馬鹿げた存在に見えます。DVDだ、アイドルだ、フィギュアだと極限まで消費しまくるオタク者は典型的なキリギリス型です。
しかし、「キリギリスがいることによって国が潤う」ということもまたしかり。
基本的に私もオタク万歳な人間ですが、将来になると不安しかありません。それでも「価値あるもの」には消費を惜しみません。
もっと「満足感」に関して作る側、受け取る側で、本気で取り組む必要があると思います。
消費の大循環によって、経済がよくなり、将来が不安にならない程度の備蓄も自然にできる。これがベストの姿ではないのでしょうか。
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