偽造の歴史
新潮社 人はなぜ歴史を偽造するのか を図書館で借りて読んでみました。
義経ジンギスカン伝説がどのように発生したかなど、興味深い記述も多いのでこれは是非一読していただきたい本です。
著者 長山氏の見解として歴史が物語として伝えられることに対する危惧が語られています。
お隣の国で反日思想が強いのも、元と言えば歴史を検証せずに「物語」と混同させて、「優秀な民族が、不当に虐げられていた」といストーリーを国家レベルで教え込んでいるわけですから、一朝一夕では、その呪縛が解かれよう筈もありません。
恐ろしいのはナチス政権下のゲルマン民族優位論、陥れられてるのは のせいであると言ってるのと全く同じことなので、歴史を物語とすり替えた上で敵(これは施政側にとって都合の良いもの)を滅ぼすという願望を植え付けることは危険きわまりない行為であると言えます。
振り返って日本はどうかというと、 戦前の日本史観により愛国心が作られていましたし、戦後の占領政策下で不当ともいえる自虐史観が教育されるのも、(戦争犠牲者のストーリーを全面に持ち出すことなど)また同じことです。
大衆レベルだと、例えば歴史上著名な坂本龍馬ですらも、ほとんどの人間が司馬遼太郎氏の『龍馬がゆく』を検証もせずに鵜呑みにして「自分は龍馬ファンだ!」「龍馬のように生きたい!」とか公言してるので、まあ五十歩百歩な訳です。(せめて司馬遼太郎ファンというべきかと)新選組像もだいたいが司馬氏の小説を模倣したものを史実と思いこんでる様子があります。
言ってしまえば誰もが、物語史観で、洗脳されている危険性があるわけです。
過去のものを扱う際には客観性のあるデータを元にした「歴史物」。データから一般化するための「歴史小説(歴史物語)」、史実を踏まえつつも大いに創作された「歴史ファンタジー」と明文化する必要性があると考えています。
歴史ファンタジーなら、平安時代の陰陽師がメガネ男子だったりしても全然おっけーなので、「ほらを吹くなら史実と混同はさせない」というルールをちゃんと作った上で、馬鹿馬鹿しいまでの創作の限りを尽くして欲しいと思うのでした。
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