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叩かれる側の責任

 殺傷事件の被害者宅から殺人事件を扱った漫画がみつかり、例によって「マンガの影響」「マンガは悪くない」の反応が出てきます。

 少々古い話ですが子供から 

「なんで人をころしちゃいけないの?」

 と質問された親の話がありました。命題としては様々な回答がありますが、私なら即答です。

「1回きりしかない人生が台無しになるから」

 人間は大事な物を無くしてしまっただけでも、強く悲しむのに、ましてやそれが家族だったり、友達だったりしたら、もっと悲しみます。

 会ったことのない人でもその作品とか人柄に触れていたらやっぱり悲しみます。殺す側、殺される側その家族、周辺の人間において、「殺人は納得できる理由ではない」というのが重要なのです。

 さて、翻ってこちらの問題を考えてみましょう。「殺人」というテーマは架空のキャラクターであっても一生一回のみです(一応)。重要な要因であるためは「殺人」を扱う内容は慎重な取り扱いが必要です。

 殺人を犯す未成年に共通するのは「人を殺しても良い理由を発見したことにある」と考えています。

 社会に出れば、バイト一人が休んだだけでも負担が大きくなったりして、いるべき人がいない損失を否が応でも知ることになります。しかし、まだ社会感覚が身についていない人間はそのリスクが理解できていません。そこに「正義なら殺して良い」「殺人によって特別な存在になれる」「「ナタもってほいほい殺人」とかの情報を与えていたら、「直接殺人を示唆しているのではないが、殺人者になる栄養を与えている」ことにはならないでしょうか。「ロストする側のこと」も重きを置くべきでしょう。

 児童ポルノもそうなのですが、「何故叩かれるのか」の理由をもっとこちら側でも考える必要があるのです。未成年者にどばどばと売りつけておいて、罪の部分は知らぬ存ぜぬ「だって関連性が証明されておりません」では厚顔無恥というものではないのでしょうか。

ものを送り出す側は

その内容に責任を持つべき

 言いたいのはこれだけです。「無くせ」ではなく、ちゃんと考えて販売を考えなければ永久に叩かれて、挙げ句に法で規制されるという結果になると思うのです。

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